おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

食洗機メーカーの回し者ではありませんが・・・

 「食器洗い機」を買うべきかどうか悩む方が、意外に多いようですね。私自身はもう、20年以上愛用しています。食器を洗うのが好きな方は「手」で洗えばいいでしょうし、好きじゃない方、あるいは好きなんだけれど時間的余裕が無い方には、食洗機、お勧めです。その際、予想される質問として「汚れはちゃんと落ちるの?」があります。

 

 実際、ネットで「食洗機」を巡る口コミをみても、「問題なく落ちる」という人もいれば、「汚れが残る」という意見も必ずあります。それらのやり取りをみていた私は、ある重大な、言語学的問題に気づきました。それは、標準語には、「うるがす」という動詞がなく、そういう動詞が無いということは、「うるがす」という概念が無いということを意味するのではないかということです。この「うるがす」という概念は、ひょっとしたら、食洗機を巡る「落ちる・落ちない論争」に終止符を打つことになるかもしれません。

 

 うるがす(がにアクセント)は、青森県では広く、頻繁に使われる「動詞」で、「何かを水やお湯につけて、ふやけさせる」という意味です。「ふやけさせる」という明確な目的を伴って成立する動詞なので、単に、水やお湯に何かをつけるだけの場合は用いません。例えば、同じ足を温泉につけるという動作でも、「足湯」を楽しむという場合には使わず、かかとの角質をこすって落とすためであれば「足、うるがす」という言い方が可能になります。

 青森県から東京などの都会に出て、方言の通じない相手と話す際には、方言話者は頭の中で方言を素早く標準語に置き換えて、発話します。そして、そんな会話を重ねたある日、上京した青森県人は、深い戸惑いの中に立ちすくむことになります。

 「うるがす」って、標準語で何て言えばいいの?

 その青森県人は、「ご飯茶碗に付いたご飯粒は、乾くと容易にはとれないから、水でふやかして落としやすくするために、洗い桶に漬けておいて」って、言いたいんです。でも、日常生活でこんな橋田壽賀子ドラマみたいなセリフ、とても言えないでしょう。「う・・」と言葉に詰まるわけです。これが、青森県人同士であれば、事は簡単、

 「ご飯茶碗、うるがしておいて」で済むんです。

 

 「うるがす」という言葉、つまりは「概念」を持つ青森県人にとって、ご飯茶碗を筆頭とした「落ちにくい汚れ」のついた食器は、洗う前に水で汚れをふやかしておくのが当たり前、子供の頃から身についた「ご馳走様」からの一連の流れになっているのです。

 「食洗機」ではご飯粒が落ちないとか、使った後に食洗機自体を掃除するのが面倒といった書き込みを不思議に思いながら読んでいるうち、「この人達とは使い方が違うのではないか」と思うようになりました。そして、その違いはどこから来るのだろうと考えた結果、「この人達は食器をうるがしていないんじゃないか」と思い当たったのです。そう考えれば、汚れ落ちが悪いのも、食洗機の中が食べ残しで汚れるというのも納得です。

 「食洗機」を使っていて、今ひとつ綺麗にならないとお思いな方、是非、食器をうるがしてから食洗機に入れてみて下さい。うるがすのは簡単。洗い桶とか準備する必要はありません。食器に水を張って、5分もおけば大丈夫だと思います。お試しあれ。

 

 ※グラタン皿などのような、手洗いでもこすり洗いが必要なものは、やっぱり汚れは残ります。また、目玉焼きやマヨネーズのような、生に近い「黄身」は熱で凝固しますから、必ず水で落としてから入れましょう。それから、イクラなども・・・あれっ、結構、食洗機の苦手分野って多いかも。「うるがした」のにダメだった場合も、怒らないでね、水に流してね。

 なんだか最後は「ふやけた」文章になってしまいました。ごめん、ごめん。

 

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日本の食器はこんな感じの、形も大きさも個性的なものが多く、食洗機に並べにくいという特徴が有りますね。私が実際に食洗機を使ってみて思ったのは、「とにかく、いれればいいんだ」ということ。きちんと隙間なく並べようとか、全部入れようとかは考えない。何も考えない。ただ、入れる。入りきらない分は次に回すとか、手で洗うとか、柔軟に。そう、食洗機係は子供にするとか、そういう柔軟さ、いいですよね。