昨日の記事にも書きましたが、年を取るほどに、食べることに執着するようになりました。そんな自分がちょっと イヤなんですよね。
若かった頃、新川和江という詩人が好きで、なかでも印象に残った一節に
「口で数えられる人間」というのがありまして、ググったらみつかりました。
鳥は羽で数えられる 魚は尾で数えられる
口で数えられる 人間の口のせつなさ
難民も王様も つまるところ一個の口で
最低一つの碗と 一本の匙がいる
残念ながら、タイトルにはついに至ることは叶いませんでした。
(この、ついに、という言葉も新川和江の作品中で、はっとさせられる言葉なんです)
念のため、ちょっと解説しますと、鳥は一羽二羽、魚は一尾二尾。人間の多さを表す言葉は「人口」。食べること=口からは逃れられない人間のサガ・・。という内容です。
今、私イチオシのチョコがこちら、
『 meiji THE チョコレート フランボワーズ 』
「食の楽しみ」を否定はしません。人が集い、その場に美味しい食べ物が豊富にあれば、なんて幸せなこと、と素直に思います。また、美味しい物を作って人に供することが出来れば、その人はそれだけで十分「福」があるのだと賞賛を惜しみません。
ただ時々、ほんの時々ですが、新川和江の詩のように、物食う自分、むさぼる自分を「せつなく」感じてしまう時があるんです。体重の増加を止められないときなどは特に(笑)。 動物的であることの悲しさ、自制心や理性が「美味しい物」の前にあっさり敗北してしまう情けなさ。若いときならともかく、随分長いこと「人間」をやってきてるのに。
おばあさん見習いとしては、これはどうにかしなければならないと思うんです。見苦しくないおばあさんになるために。
美味しい物を少し食べて満足、そういうおばあさんに私はなりたい。飴にもマケズ。