おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

お盆の前に壺を買った話

 先日、友達と隣町の温泉に行って、隣接の物産館でご飯を食べました。

ちょうどその日は物産館で催事があったので、覗いたところ、

心を鷲づかみされたんです、「壺」に。まさにツボを押さえられてしまった訳です。

↓ こちらです。

 

f:id:takakotakakosun:20180814225542j:plain   高さは40センチほど

 

  そのお店は、良く分からないあれこれを並べていたんですけど、

この壺についてお店のご主人が言うには、

「どこの物かは分からないけど、多分、南米」(私もそう思います。誰でもそう思うと思われます)

「動物も人形も、一つ一つ作って、くっつけたんじゃないかな?すごい手間だよね」(うん。なんの動物かは分からないけど、スゴイよね)

「花でも生ければいいと思う」(まあ、壺ですからね)

「焼きがちょっと柔らかいから、水入れれば、染み出るかもしれない」(・・・。)

「中になにか入れて、水を入れれば大丈夫だ」(頭いい!)

「安くするよ」(ホント?)

「ちょっと欠けがあるし」(あ、ああそう)

「1200円。それ以上は無理だな」

 私「買った!」

こうして壺は、目出度く我が家にやってきました。

 

私の心を強く強く惹きつけたのは ↓ この人形です。

 

f:id:takakotakakosun:20180814225725j:plain
f:id:takakotakakosun:20180814225748j:plain
f:id:takakotakakosun:20180814225806j:plain



  南米の先住民は私達日本人と同じ黄色人種ですが、顔立ちや真っ黒い髪は勿論、

この「物を背負う」姿が、何とも懐かしく、亡き母の姿に重なります。

 

 母は力持ちで、かなりの重さの物でも、木綿の風呂敷に包んで背負っていました。

中でも、一番嬉しそうに背負ったのは孫達、つまり私の二人の息子達で、私が「疲れたろうから、もうおろしたら。眠ってるよ」と言っても「おろせば目を覚ますから」と言って、なかなか会えない孫を、いつまでもいつまでもオンブしていたものです。

 壺の話から、思わぬ思い出話にはまり込んでしまいました。こういうのを「ドツボにはまった」というのでしょうか。

 でも、亡き人を偲ぶというのもお盆らしくて、なかなか趣があるんじゃないかしら。

「盆」から「壺」へと、話に深みが出たということで。

どうです、なかなか上手いことまとめたでしょ?という、「しょってる」話でした。