おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

エレベーターにて国を憂える

弘前市にある一番高い商業施設は、8階建ての「イト-ヨーカドー」。

過日。地下の食料品売り場で買い物を済ませ、エレベーターに乗り込みました。

エレベーターは空で、私が階数ボタンの前に立ち、行き先階のボタンを押すと、ほぼ同時に、カートを押して30代とおぼしき女性が乗って来ました。私はボタンを押すように頼まれることを想定し、利き手の右側を階数ボタン側にして横向きで立っていました。すると、その女性は無言でヌーっと手を伸ばし、目的階のボタンを押したわけです。

 まあ、よくある光景ですよね。いつもなら、心の中で軽いため息をついて終わるところです。ただ、実はこの日は珍しく息子その2と一緒だったので、エレベーターから降りて駐車場の車に向かう間、息子に向かって延々と持論を展開してしまいました。

 

 「さっきの女の人、私の鼻先にグイって腕を伸ばしてボタンを押したでしょ。ああいうのは良くないよ。他人の顔の前に腕を伸ばすのは失礼なことだから、声に出して頼まないと。まあ、人によっては、声に出して人に頼むっていうのが凄くハードルが高いっていうのもわかるけど。でも、そこは失礼な行為と秤にかけて乗り越えないと。

 多分、ああいう人は、人の鼻先をかすめて腕を伸ばすのが失礼だということを知らないんだろうね。問題は、仮にそれを教えたとして、すんなり納得するかなんだよね。そこで、『なんで?』って言われちゃうと、そこはもう文化の違いというか、あきらめるしかないよね。同じ日本人であってもさ、世代の」 

 なげーよ!

  自分で書いてて、突っ込み入れたくなりました。息子よ、良く我慢して聞いてくれました。(ちなみに、息子用にビールとワインを買った帰り道での出来事です。効き目?)

 

 彼女の行為を「失礼」と書きましたが、厳密には「不躾」というべきかもしれません。「失礼」だということを知らないとすれば。

 では、ある行為が失礼だということを知らない若い人がいて、教えるのはだれ?と問えば、当然、私達「目上の者」の責任という話になるわけです。

 

 私は1980年代に学生生活を送ったのですが、この世代は「優しさの世代」と呼ばれたものです。「それぞれの価値観」を尊重し、他人に干渉せず、争いを好まず。そういう生き方を良しとする世代なんです。そういう世代がやがて親となり、職場ではリーダーとなったとき、どういうことが起こるか。

 諦めるんですよ。自分の子供であっても、部下や可愛い後輩であっても、人はそれぞれ「自分の価値観」があるんだから。他人がとやかく言うことでもないし、第一、揉めたくないし、ってね。

 さらに悪いことに、自信もないんですよ。自分が教えようとしていることが正しいっていう自信が。なぜなら、他人と「価値観」について擦り合わせや議論をしたことがないから。結果、若い人に何も言わない「物わかりのいいアラカン」が出来上がり。

 

 「叱られない」「教えられない」若い人は可愛そうだと思う。思うけれども、今更、生き方も変えられない「優しさの世代」。若者の将来、この国の行く末を思うと、自分たち世代が不甲斐なく、申し訳なく、頭が痛くなります。せめて、バファリンのように、半分は優しさ、もう半分は何かに「効く」ようであればいいのですが。 

 

一歩踏み出すことが必要かもしれません。

f:id:takakotakakosun:20180810203112j:plain 善光寺・仁王門