おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

私の中でつながる「大迫と桐島」

『桐島、部活やめるってよ』は、朝井リョウ氏の第22回小説すばる新人賞を受賞したデビュー作で、映画化もされた作品です。 テレビでサッカーの「大迫、半端ないって」を聞くと、「桐島、部活やめるって」と連想してしまうのです。似てるっちゃ似てる、似てな…

日本一短い、津軽弁の会話

日本一短い会話。津軽弁の場合。 「け」 「く」 意味はですね、 「け」(食えよ) 「く」(食うよ) となります。( )内の標準語訳でおわかり頂けますように、この会話は男同士、男言葉のものです。 同じ会話を津軽美人同士(女言葉)でした場合は、 「食べ…

チョコミントにかこつけ、化学の話をするぞ!長文だぞ!

今週のお題「チョコミント」 以前、イギリスに旅行したとき、デザートにはことごとくミントが使われていて、 「なんで?これにミント使う必要ある?」 と憤慨した思い出があります。そう言えば、イギリスの有名なチョコレートといえば『アフターエイト』。ま…

三井の晩鐘

前回の記事で「三井寺」についてちょっと触れまして、思い出したことが。 「近江八景」って、聞いたことあります? ザックリ言いますと、滋賀県(近江)にある有名な八つの景勝のことです。 そして、その中の一つが「三井の晩鐘」。 夕暮れの琵琶湖、遠くか…

旅で出会った「ダジャレ」

皆さんうすうすお気づきのことと思いますが、 私はダジャレが大好きなんです。言うのも聞くのも。 ただし、言うのはともかく、聞く方に関しては厳しい姿勢で臨みます。 「語呂さえあってりゃいい、ってもんじゃないんだよ!」というスタンスです。 ダジャレ…

6月24日 美空ひばり命日

平成元年に美空ひばりが亡くなってから、たくさんの追悼の言葉をマスコミを通じて見聞きしました。その中で一番印象に残った、女優・奈良岡朋子氏のお話を紹介しますね。(私の記憶だよりなので、だいぶ脚色ありですが) 「私が気ままに一人旅をするもんだか…

ちょっと、母の思い出など

私の生まれ故郷は、青森県の下北半島にあります。 下北半島はその形から「まさかり半島」とも言われます。 「ま~さかり、か~ついだ金太郎~」の、あの「まさかり」です。 (ちなみに、母方の祖父の名前は金太郎と言います。ホントです) 青森県の方言と言…

言いたいダジャレその4 「鳥」

ウチの職場の建物は、なかなか古くてですね、 窓の鍵はこんな形をしているんです。↓ 可愛くないですか?いつも見るたび、 「可愛いなあ。小鳥の形だ~、鳩サブレにも似てる~」って思うんですよ。 これで、鍵を掛けるときの音も「コトリ」だったら最高なんで…

キジも鳴かずば・・・

坊や~いい子だ、ねんねしな~♪ で始まる土曜の夜のお楽しみ、「マンガ日本昔ばなし」。 昭和生まれのあなた、絶対、「みたわよ~」(市原悦子ふうに)でしょ。 楽しいお話、感動的なお話、怖いお話、いろいろな昔話がありますが、 「ウツ昔話」というジャン…

「薔薇より美しい君」は高くつく

1979年、布施明「君は薔薇より美しい」発売。 「君は薔薇より美しい」はカネボウ化粧品のCM曲で、そのCMに出演したのが世界的大女優「オリビア・ハッセー」 あの、ジュリエットですよ。 映画「ロミオとジュリエット」(1968年フランコ・ゼフィレッリ監督)…

バラ100万本、いらないんですけど。

「ウチのバラを見に来て下さい」という嬉しいお誘いを頂きまして。 ステキでしたよ~。バラは姿もいいですが、香りにもうっとりさせられます。 で、うっとりしながら、加藤登紀子訳詞の「100万本のバラ」について。 ご存じない方のために、内容をざっと。 貧…

絶世の美女 シモネッタ・ヴェスプッチの奇縁

1492年、クリストファー・コロンブス(1451~1506)、大陸に到達。コロンブスはその大陸をインドだと疑わず、そこに住む人々は「インディアン」と呼ばれた。 その後、イタリア人探検家アメリゴ・ヴェスプッチ(1454~1512)は、南米大陸が新大陸(ヨーロッパ…

夫は息子達の父

今週のお題「おとうさん」 私には夫と二人の息子が居ます。息子達にとって、夫は、 「お父さん」ですね。 うちの息子達は小さい頃、とても可愛い顔をしていました。でも、歳月というものは時に残酷。 長男が小学校高学年になった頃、私が夫に、 「あの子、小…

大豆、礼賛

大豆って素晴らしい。 例えばこんな光景。 「いただきま~す」、一等最初に冷や奴にお醤油をかけ、でも、まずは油揚げの味噌汁を一口。 ほら、お豆腐・お醤油・油揚げ・味噌。 ぜ~んぶ、大豆から出来ています。 ご飯の前には「ビール!」っていう人なら、こ…

蓮、礼賛

13日の記事に載せた「雨上がりの蓮池」の写真に、お褒めの言葉を頂きました。 「散り立ての蓮華(れんげ)の写真なんて、良くお持ちで」と。 津軽地方には何カ所か蓮の名所がありまして。 3年ほど前、その魅力に、はまりました。 蓮は何もかもが素晴らしいで…

言いたいダジャレその3

ちょっと前、友達の「伊勢神宮に行ってきた」話を聞きました。 「良かったよ~!」って、感激してました。 スピリチュアルな雰囲気がスゴイんですって。 私はあまりそっち方面には関心がなくて。 なんと言っても「恐山」が地元なんですもん、 スピリチュアル…

正確には「雨が上がった後の過ごし方」

今週のお題「雨の日の過ごし方」 窓ガラスに激しく打ち付ける雨。ラッキー! 網戸掃除のチャンスです。 夜の雨ならば、翌日、網戸が濡れているうちに。 夏のゲリラ豪雨や夕立なら、上がるのを待って。 使い捨ての古布(着古したTシャツなどいいですね~)で…

旅で出会った「ヒゲ」

旅行。 見た瞬間に「珍しい!」と思う物に出会ったり、 その時は「へえ」ぐらいだったのに、後からジンワリ趣深く感じるものがあったり。 旅には様々な感動がありますね。 おまけに、こうしてブログなぞ始めてみると、それらを文章にするという楽しみも加わ…

ローマでオベリスク

世界に現存する古代オベリスクは30本。 その内7本がエジプトに、13本がロ-マに、残り10本が世界各地にあるのだそう。 (ローマの13本の内、7本がエジプト製) エジプト以外にある古代エジプト製オベリスクは、 はるばる海を越え、遠く遠く運ばれていっ…

支倉常長と渡辺謙

独眼竜「伊達政宗」。 昨日、「世界ふしぎ発見!」を見ていたら、 当時は「イダテ・マサムネ」と発音されていたことが判明。 『伊達』と書いて「ダテ」と読む謎が解けてスッキリ。 その伊達政宗によってヨーロッパへ派遣された支倉常長にちなんだ 仙台銘菓「…

は、鼻・・・そして・・・

前回の記事に書いた、なんとも印象に残る絵、 ↓ これです ピエロ・デラ・フランチェスカ『ウルビーノ公夫妻の肖像』ウフィッツィ美術館蔵 「夫のウルビーノ公は槍試合で右目と鼻を失い、よって、肖像画はすべて左半身」 という説明が多いのですが、一説には …

アッシジとジョット

大昔、テレビで『ブラザーサン・シスタームーン』という聖フランチェスコの生涯を描いた映画を見ました。 その時から、アッシジは憧れの街の一つです。行ってみたいなあ。 どうぞ、「アッシジには関わりのねえ事でござんす」と言わず、お付き合い下さい。 (…

ローマにて。(いや、二日間だけですけどね)

先ずはこの写真をご覧下さい。 ローマの、あるお店のショーウインドウです。 『聖職者御用達』のお店なんだと思います。 詳しいことはわかりません。畏れ多くて・・・。 ただこうして、外から写真に収めるのが精一杯。 頭の中には『大司教』とか『枢機卿』と…

イタリアの鳩は太っている

ミラノで鳩を見たとき、 息子達が「イタリアの鳩、太ってる」というわけです。 私は「寒いから膨らんでるんでしょ」とトリあわなかった。 ところが、ヴェネツィアで見る鳩も、確かに太ってる。 ローマで確信しました。この国の鳥は警戒心が緩い。 ローマで撮…

凄いのよ、フランス大統領って。

今のフランスの政治体制は第五共和制で、 この体制には歴代8人の大統領がその名を連ねます (シャルル・ド・ゴール → ポンピドゥー → ジスカールデスタン → ミッテラン → シラク → サルコジ → オランド → マクロン) さて。 ミッテラン以下、皆さん何かと凄…

リ・ソルジュ夫人からのマクロン大統領

李雪主(リ・ソルジュ)夫人。金正恩夫人ですね。 日本語で読みますと、リセッシュ夫人! なんとも清潔そうなお名前じゃないですか。 そこで連想したのが、フランス大統領のマクロン氏ですよ。 彼が大統領選に出たとき、ネットで 「めっちゃ、”毛糸洗いに自…

息子も認めた、アラン・ドロン

ハンサム(昭和語?)と言えば、アラン・ドロン。 およそ25年前の 友人N(5月10日の津軽弁の記事に登場)との会話。 私「学校の先生で、ものすごいハンサムな人を知ってて、 〇〇小学校のアラン・ドロンって言われてたんだって」 N「すぐ居なくなるとか?…

不本意なカラヴァッジオ

息子その2は映画が大好きで、特にイケメン俳優が大・大・大好き。 オーランド・ブルームとミランダ・カーの結婚(後に離婚)に際して発した台詞は 「いいなあ、ミランダ・カー」でした。 そっち?そっちなの? そんな息子がミケランジェロのダビデ像を推すの…

フィリッポ・リッピの息子フィリッピーノ

5月24日の記事で フィリッポ・リッピの『聖母子と二天使』をご紹介しました。 聖母子は画家の妻と息子(フィリッピーノ)がモデルと言われています。 その息子は早くに両親と別れています。 (母は二歳のフィリッピーノを残して修道院に戻り、父とは12才で死…