若い頃、星新一のショートショートを愛読していました。子育てが始まった頃からあまり本を読まなくなってしまい、本棚には昔読んだ本が埃をかぶって並んでいるという状態でした。ある夜、偶然のきっかけで本棚にあった星新一の一冊を夫が手に取り、息子達に読んであげたのでした。
本を読むのは寝かしつけのためで、布団の中で夫と二人の息子が川の字になっていました。星新一のショートショートは幼い子供にも面白いらしく、一話読み終わるともう一話と、息子達のリクエストは止まりません。そのうちに「レタス人間」の登場する話となり、息子達は何がツボだったのか、ゲラゲラと笑いに笑い、眠気はすっかり飛んでいってしまうという惨状でした。
それからも、ことあるごとに息子達は「お父さん、レタス人間読んで」とお願いしていました。すっかり大人になった息子達がどういう本を読んでいるのかは分かりませんが、「星新一、面白いよね」という感想は変わらないようです。
家の片付けをしていると、思わぬ所から昔の本が出て来ることがあります(ウチだけ?ありますよね?ね、ね?)昔の文庫本を手に取って驚くのは、その活字の小ささ。見開きにびっしり字が詰まっていて、老眼の目には厳しすぎ、無理。そんなわけで、昔の本、読み返したいな~とは思って見るのですが、かなわぬ夢なのです。
最近頭の体操を兼ね、ショートショ-トを考えています。今日の作は星新一氏に捧げます(いらないかもしれないけど)
エイチ氏のこと takakotakakosun 作
昭和の文豪エイチ氏は、臨終の床にあった。今まさにその命の炎が燃え尽きようとしているとき、エイチ氏は地球での彼の仕事を振り返っていた。
自分で決めたとおり、私は地球で生を終えることになった。
悔いはない。私のミッションは地球人に宇宙の先輩としてのメッセージを送り、地球人が正しい未来へと舵を取るようアドバイスを与えることだった。ただし、私が宇宙人だとは決してバレないように。
そこで私は短い小説を書き、その中にメッセージを込めることにしたのだった。様々な惑星の悲しい歴史は地球人の教訓となるように。私達の星で発達している科学技術については彼らの未来へのヒントとなるように。
私が次から次へと発表する短い物語はショートショートと呼ばれ大好評であった。たくさんの読者を獲得した。人々は私のつくる物語があまりにも大量で質が高いため、「どうしたらそんなに次から次へと斬新な発想が生まれるのか」と驚き不思議がった。
なあに、何のことはない。それらは私にとっては実際に見たり聞いたりした実際の出来事なのだから。私は単に記憶を文字に起こしたに過ぎない。ただ、気がかりなのは、私からのメッセージを地球人はちゃんと心に留めてくれただろうかと言うことだ。彼らの未来は正しい方向へ進んでいるのだろうか・・・。
それにしても、初めてこの地球に降り立ってからの月日の、なんと速かったことか。小説を発表するための名前、ペンネームを考えたのが、ああ、つい昨日のことの様な気がする。
ペンネームは、この星で新しい一つのことを始めるのに相応しい名前をと思い・・・、この星で・・・
「先生、先生!」
病室につめていた者達は実感した。一つの大きな星が落ちたことを。
終わり