おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

ショートショート3 『エイチ氏のこと』

 若い頃、星新一ショートショートを愛読していました。子育てが始まった頃からあまり本を読まなくなってしまい、本棚には昔読んだ本が埃をかぶって並んでいるという状態でした。ある夜、偶然のきっかけで本棚にあった星新一の一冊を夫が手に取り、息子達に読んであげたのでした。

 本を読むのは寝かしつけのためで、布団の中で夫と二人の息子が川の字になっていました。星新一ショートショートは幼い子供にも面白いらしく、一話読み終わるともう一話と、息子達のリクエストは止まりません。そのうちに「レタス人間」の登場する話となり、息子達は何がツボだったのか、ゲラゲラと笑いに笑い、眠気はすっかり飛んでいってしまうという惨状でした。

 それからも、ことあるごとに息子達は「お父さん、レタス人間読んで」とお願いしていました。すっかり大人になった息子達がどういう本を読んでいるのかは分かりませんが、「星新一、面白いよね」という感想は変わらないようです。

 家の片付けをしていると、思わぬ所から昔の本が出て来ることがあります(ウチだけ?ありますよね?ね、ね?)昔の文庫本を手に取って驚くのは、その活字の小ささ。見開きにびっしり字が詰まっていて、老眼の目には厳しすぎ、無理。そんなわけで、昔の本、読み返したいな~とは思って見るのですが、かなわぬ夢なのです。

 

 最近頭の体操を兼ね、ショートショ-トを考えています。今日の作は星新一氏に捧げます(いらないかもしれないけど)

 

 エイチ氏のこと  takakotakakosun 作

 

 昭和の文豪エイチ氏は、臨終の床にあった。今まさにその命の炎が燃え尽きようとしているとき、エイチ氏は地球での彼の仕事を振り返っていた。

 

 自分で決めたとおり、私は地球で生を終えることになった。

 悔いはない。私のミッションは地球人に宇宙の先輩としてのメッセージを送り、地球人が正しい未来へと舵を取るようアドバイスを与えることだった。ただし、私が宇宙人だとは決してバレないように。

 そこで私は短い小説を書き、その中にメッセージを込めることにしたのだった。様々な惑星の悲しい歴史は地球人の教訓となるように。私達の星で発達している科学技術については彼らの未来へのヒントとなるように。

 私が次から次へと発表する短い物語はショートショートと呼ばれ大好評であった。たくさんの読者を獲得した。人々は私のつくる物語があまりにも大量で質が高いため、「どうしたらそんなに次から次へと斬新な発想が生まれるのか」と驚き不思議がった。

 なあに、何のことはない。それらは私にとっては実際に見たり聞いたりした実際の出来事なのだから。私は単に記憶を文字に起こしたに過ぎない。ただ、気がかりなのは、私からのメッセージを地球人はちゃんと心に留めてくれただろうかと言うことだ。彼らの未来は正しい方向へ進んでいるのだろうか・・・。

 それにしても、初めてこの地球に降り立ってからの月日の、なんと速かったことか。小説を発表するための名前、ペンネームを考えたのが、ああ、つい昨日のことの様な気がする。

 ペンネームは、このしい一つのことを始めるのに相応しい名前をと思い・・・、この星で・・・

 

「先生、先生!」

 病室につめていた者達は実感した。一つの大きな星が落ちたことを。

                          終わり

この木のキノコ(回文だ)

 去る6日、所属する山の会で講習会がありました。テーマは「キノコ」。

 

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 講師の方が前日に山から採ってこられた、本物のキノコを実際に見て勉強しました。何を?「食べられるキノコと食べられないキノコ」についてです。

 でも、とてもとても。講師の方も「よく分からないものや自信のないものは食べない方がいいです」と仰っていました。

 食べられるキノコが分かってそれを探しながら山を歩けば、確かに楽しさも倍増のことでしょう。でも、いいの私は。そんな高望みは致しません。グループのお尻にくっついて山頂を目指せれば、それで十分。

 私に分かるのは、「私に見つかるようなキノコは、食べられない奴だ」ということです。

 

 ところが、奇跡と言いますか、出会いといいますか、あるものですね。

 津軽の地方名で「さもだし」と呼ばれるキノコがあるのですが、それは「三文の出汁が出るほど美味しい」という意味らしく、非常に人気のあるキノコです。標準名ではナラタケというものです。

 今日は知人のりんご畑にお手伝いに行ったのですが、いくつか分散している畑のうち、「山の畑」と呼んでいる畑でした。リンゴをもぎながら知人が言いました。

 「ここの畑はさもだしが出るんだけど、今年は雨のせいか多いみたい。私、昨日食べたの。美味しかった。後で探してみて」

 そんなまさか。さもだしがそんな簡単に見つかるはず、えっ、うそっ

 

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 「これそうですか?さもだし?」

 「そうそう。採っていって食べて」

 ということで、お味噌汁にして夕食に美味しく頂きました。まさか私がさもだしを採れるとは、信じられない。本当にさもだしなの?ラッキー、ハッピー。

 

 最後に、昔聞いたキノコにまつわる笑い話を披露します。

 「きのこ採ってきたんだけどさ、お隣にあげちゃった。お隣、よっぽど嬉しかったんだろうね。一家そろって一晩中笑ってたよ」

 

 ね、面白いでしょう?私もさっきから全然笑いが止まらないの~。では。

そう言えば、ミョウガの種って見たこと無い

 下の写真をご覧下さい。偶然ウチにあったものなんです。

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 バナナ、シャインマスカット、ミョウガ

 ネットで調べ物をしていて気付いたのですが、この三つには共通点があるのです。それは、「種が出来ない」という点なのです。

 

 私は無職なんですけど、社員(シャイン)マスカットはやっぱり美味しいですよね~。

 そして(何がそして?)、シャインマスカットに限らず種なしブドウという物は、一房一房、ジベレリンという薬品(植物ホルモンの一種だそうです)に浸すという手間を掛けて、種が出来ないようにするのだそうです。詳しいことは分からなくても、「薬品を使うんだ」ということで、ご理解頂ければと思います。

 

 栽培種のバナナとミョウガですが、こちらはそれぞれ三倍体、五倍体と呼ばれる特殊な染色体を持つ植物で、そのため種が出来ないのだそうです。

 以前にも拙ブログで「種なしスイカヒガンバナは三倍体」と書いたことがありますが、今日は「なぜ三倍体や五倍体の植物は種が出来ないか」について説明してみたいと思います。

 

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種のある野生種のバナナの断面  Wikipediaより

 

 生物の体は細胞で出来ており、その細胞一つ一つに遺伝情報が詰まった「染色体」というものが入っています。ヒトの染色体は46本、というのは聞いたことがあるかと思いますが、それは父から23本、母から23本貰うからです。そして、例えば、「髪の毛が直毛になるか天パになるか」、それは髪に関する父方の遺伝子と母方の遺伝子との話し合いで決まることになります。このように、46本の染色体は共通の話題(複数)を持つ同士、チームとして存在しています。

 ヒトの46本の染色体は、2本ずつの23チーム。これを2倍体と言います。3本ずつでチームであれば3倍体、5本ならば5倍体というわけです。

 卵や精子といった生殖細胞が次世代になるとき、それぞれ46本の染色体のままでは、世代を経るごとに染色体が倍々で増えてしまうという不都合がおこります。そこで生物は、生殖細胞を作る際には減数分裂と言って、染色体の本数を半分にするという技を使うのです。チームになっている染色体のどちらか一方だけ、合計23本を生殖細胞に詰めるのです。そうすれば、父と母から染色体を受け継いだ受精卵は、めでたく合計46本の染色体をもったヒトとなることが出来るわけです。

 ここで重要になるのは、染色体の「共通の話題を持つ同士」、つまりチームのメンバーが偶数と言うことです。発生や遺伝は非常にデリケートなものです。チームの構成員が奇数では綺麗に半分になることが出来ず、次世代を作ることはほとんど不可能になるのです。三倍体のスイカやバナナ、そして五倍体のミョウガ、これらに種が出来ないのはこういう理由があるからなのです。 

 

 如何でしたでしょうか。「種なしスイカ」の種明かし、お分り頂けましたら幸いです。では。

ショートショート2 『針葉樹の黄葉』

 いや~、調子いいわ~。昨日に続いて、またまたショートショート出来ちゃった~。

 

 針葉樹の黄葉    takakotakakosun 作

 

 日本には八百万の神様がいらっしゃるそうですが、実は樹木にも、樹木の神様がいらっしゃるのです。

 

 初めの初め、樹木は皆同じ姿で名前は無く、全て「木」と呼ばれていました。「木」はその事がなんだかもの足りなくて、神様に名前をつけて下さるようお願いしました。

 「ああそうだね。名前があった方が便利だよね」

 さすが「木」の神様だけあって、気軽なものです。

 それぞれに名前を貰った木々は、最初は満足していたのですが、次第にまたもの足りなくなってきました。

 「木の神様すみません。せっかく名前がついたのですから、姿もそれぞれに変えて頂けないでしょうか」

 「うん。いいよ~。皆好きな葉っぱの形を選んで。背の高さも好きに決めていいよ~」

 しばらくはそれぞれの姿にうっとりとし、個性の違いを楽しんでいた木々でした。でも、やっぱりだんだん物足りなくなって来たグループがありました。全員が緑色というのも味気ないと思い出したのです。それは広葉樹と呼ばれる木々のグループでした。他に針葉樹と呼ばれるグループもありましたが、「我々は葉は細いが、細かいことは気にしない木だ」と、そちらは緑の葉で構わないということでした。

 広葉樹達は神様のところに行きました。

 「あの~、神様。何回も済みませんが、皆同じ緑色というのもいかがなものかと。たまにはちょっと葉っぱの色を変えて頂くとか、そういうわけには行きませんでしょうか」 

 度重なるお願いに、神様も少々うんざりしてきました。

 「う~ん。じゃあさ、緑の葉っぱだと飽きが来るということなら、秋が来たら赤や黄色に色を変えると言うことで、どう?」

 ちょっと面倒になって来た神様はダジャレで決めてしまいました。

 「ありがとうございます」

 ダジャレで決まった色でしたが、それでも広葉樹達は大喜びで帰って行きました。

 その様子を眺めていた他の神様達が、木の神様に言いました。

 「次から次に、難儀だねぇ。一難去ってまた一難、って感じだね」

 「しょうがないさ。枝葉末節にこだわるのが、木だもの」

 と、そこへ一本の木がやって来ました。針葉樹のイチョウでした(イチョウは本当に針葉樹なのです、念のため)。イチョウは目立ちたがりの面倒くさい性格の持ち主でした。針葉樹なのに、あの独特の葉っぱの形を選んだ木なのです、想像がつくかと思います。

 「え~と、神様。イチョウでございます。他の針葉樹は一年中緑の葉で構わないとか申しておりますが、私はあざやかな色が希望でして、一つその~」

 「分かった分かった。黄色、鮮やかな黄色。皆がハッとするような見事な黄葉の木にしてあげよう」

 「有り難うございます。それはもう感激でございます。ただ、欲を申しますと、もう一工夫と言いますか、黄色の葉の木は他にもございますし」

 さすがの神様も、心底あきれてしまいました。なんて欲が深いのだろう。

 「よし、こうしよう。葉の色はもう決めてしまったのだから変えられない。かわりにイチョウの実には匂いをプレゼントしよう。誰もがイチョウだと気付くような、独特な匂いを」

 「有り難うございます。有り難うございます」

 イチョウは喜んで帰って行きました。

 その姿を皮肉な笑顔で見送りながら、木の神様は呟きました。

 「一難去ってまた一難か。いや、一難去ってギンナンだ・・・」

                        終わり

 

 文中にも書きましたが、イチョウは本当に針葉樹なんですよ。信用して!では。

ショートショート 『ひろさきのこびと』

 ショートショートを作ってみました。難点は、オチの部分が50歳以上にしか分からない点です。よろしかったらお付き合い下さい。

 

 ひろさきのこびと   takakotakakosun 作

 

 これは学生時代の友人S子さんから、随分前に聞いた話です。

 

 S子さんは県外出身だったので、弘前市内の親戚の家に下宿していました。下宿と言ってもS子さんの場合、ちょどその親戚が転勤で空き家になるということで、家の管理人を兼ねての一人暮らしでした。

 初めての一人暮らしがワクワクと始まり、来客の多い賑やかな弘前の「お花見」シーズンが終わり、時を同じくしてゴールデン・ウィークが終わった頃、S子さんは盛大な寂しさに襲われ、いわゆる「五月病」になってしまったのだそうです。それもかなり重症の。あっという間に昼夜逆転生活となり、学校は欠席続きとなっていました。

 そんな日々を過ごしていた真夜中(S子さんにとってはテレビ・ラジオを楽しんだり、本を読んだり手芸をしたりの活動時間でした)、S子さんが4月から始めた新しい趣味・こぎん刺しの入った箱に手を伸ばすと、中に居た小さな(3㎝ほどだったそうです)生き物と目が合ってしまったのだそうです。それは、「こびと」でした。そして、その時が「こびと」との出会いであり、別れともなったのだそうです。その「こびと」の長い自己紹介と別れの言葉を、S子さんは詳細に教えてくれました。

 

 そもそも、「こびと」は日本各地に暮らしていて、それぞれの地域に見合った「人間の手伝い」を、人間にばれないように行い、その代償としてわずかばかりの食べ物を頂くという、彼らなりの誇り高い生活を営む種族なのだそうです。外国の仲間では、靴屋の手伝いをする種族が有名だとか。なので、人間から一方的に「借りて暮らす」だけの奴らは、「こびとの面汚し」とされるのだそうです。

 弘前周辺には昔から大勢の「こびと」が暮らしていたのだそうです。S子さんは、「そう言えば、ここの住所は弘前市小人町だ!」と、「こびと」の存在がすんなりと腑に落ちたそうです。

 なぜ、弘前周辺には「こびと」が多かったかと言いますと、こぎん刺しという、人間にばれないように手伝うのに、うってつけの手仕事があったからだそうです。

 ほの暗いランプの下、眠い目をこすりながらこぎん刺しに励む奥さんや娘さん達。彼女たちが寝静まったところで、「こびと」達の出番です。続きをせっせと刺すのです。

 朝、彼女たちが起きて、明るい陽の下で昨夜の自分の仕事ぶりを眺めます。するとどうでしょう、針は思ったよりもずっとずっと進んでいる、その嬉しさ。輝く笑顔を物陰からそっと覗くと「こびと」達は満足し、堂々と、でもほんのちょっぴり、納屋からリンゴや野菜を頂戴したそうです。

 でも、そのこぎん刺しもだんだん廃れていき、「仕事」を失った「こびと」達も、次第に津軽の地を離れて行きました。今では残るは数家族のみ。自分達一家も、じいさまが「以前ならともかく、今の東京で出来るのは仕事ではなく、ゴミあさりだ」と、頑として引っ越しを拒むので、なんとか踏みとどまってきたということでした。ところが、有る決定的な出来事があり、さすがのじいさまも引っ越しを受け入れざるを得なかったそうです。

 それは他ならぬ「こぎん刺し」の手伝いでした。

 その当時では珍しく、中学生の女の子がこぎん刺しでコースターを刺していました。それがあんまり嬉しくて、じいさまは女の子が眠った後、残りを仕上げてしまったのです。翌朝は親子ゲンカでした。

 「ママ、余計な事しないで」「何にもしてないわよ」「ウソ言わないでよ」

 昔のこぎん刺しは「大物」でしたから、「こびと」の手伝いぐらいバレずに済みました。でも「小物」では一目瞭然ですからね。

 こうして自分たちの居場所はないとじいさまも諦めがつき、夜明けを待ってこの地を去る事になったそうです。ところが、最後の最後にこぎん刺しをちょっとだけ、ほんの一針二針でもと思ったのが運の尽き、こうして見つかってしまったのだと。そう言うと、その「こびと」はどうか見逃して貰えないかと何度も何度も頭を下げたそうです。

 S子さんがその願いに応じたのは言うまでもありません。でも、彼女にはどうしても引っかかるところがあり、「こびと」が姿を消す前に聞いてみたそうです。

 「じいさまが、以前なら東京に仕事があった、と言ったそうだけど、どんな仕事だったの?」

 「こびと」は残念そうに答えたそうです。

 「チョコレートを作ってたんです。コビトのチューブチョコレートを」

                           終わり

 

 評価・感想は甘めでお願いしますね。では。

 

chokoreitodaisuki.hatenablog.com

 

調べて、知識がつながる面白さと心強さ

 先日知人のところで彼岸花を見せて貰った、という記事を書きましたが、その時、知人から「この花の名前、分かる?」と尋ねられ、見せられた花がありました。その時は「分からないです」とあっさりお答えして終わったのですが、なんとなく気になり、家に帰って検索してみました。

 検索ワード「葉の無い花 薄紫」であっさりとヒットしました。

 

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 名前は「コルチカム」という覚えにくいものでしたが、別名に「イヌサフラン」とあり、これなら覚えられると心強く思いました。それと、種や球根には毒があるという記述が印象に残りました。

 その後、彼岸花について書くためにネットで調べていると、「三倍体」という言葉が出てきました。「三倍体」の植物は種子を作れないということでしたが、その例として「種なしスイカ」が示されていました。

 種なしスイカ、懐かしい!

 実は私はスイカは子供の頃から嫌いなので、「種なしスイカ」そのものには思い入れはないのです。では何が懐かしかったかといいますと、学生時代のある先輩の、お気に入りジョークを思い出したのです。

 「お百姓さんが種なしスイカを作ろうと思ったが、種が無い。困ったね

 その先輩はこのジョークがよほどお気に入りだったらしく、何回も聞かされました。

 そして、このことががきっかけで、なんとなく「種なしスイカ」の作り方に興味がわき調べたところ、ビックリ。

 種なしスイカは普通のスイカを発芽後に薬品処理をして作り出すそうですが、その際に使用される薬品はコルヒチンといい、なんと、イヌサフランの種子や球根に含まれるアルカロイド(天然由来の有機化合物の総称)ということでした。

 わー、こんな偶然の出会い(?)ってあるのね~と一人で盛り上がったのですが、Wikipediaの記述を読み進むと、さらなる驚きが待っていたのです。

(コルヒチンの)日本での厚生労働省認可の適応は「痛風発作の緩解および予防」、「家族性地中海熱」である

 

 えっ、待って。

 「家族性地中海熱」って、つい最近知った病名なんですけど。 

クローン病として17年間治療していたが違う病気だった - 八発白中

 こちらのはてなブログ記事を読ませて頂いたのですが、ブログ主の患う「クローン病と違う病気」とは、日本人には非常に稀な、「家族性地中海熱」というものだったそうです。

 

 偶然って、あるものですね~。犬も歩けばならぬ、イヌサフランも調べれば、といった感じです。

 私は昔は記憶力抜群だったのですが(エヘン)、最近の衰えっぷりと来たら、本当に悲しくなるほどなのです。新しい言葉なんか、全然覚えられない。でも、言葉は覚えられなくても、こうして「つながり」が出来れば、ぼんやりとでも記憶に残る気がします。そして、言葉は忘れても「何だったっけ?」と思ったときには「検索」出来るような気がするのです。うっすらとした手がかりを必死にたぐり寄せて。

 

 「Takakoさんがブログを書こうと思ったがタネがない、困ったね」

 そんな事もしばしばあるのですが、ぼんやりとした記憶を頼りに文明の利器の助けを借り、頑張りたいと思います。では。

 

ミトコンドリア・イブは誤解されがち

 昨日の続きです。

 NHK・Eテレの『575でカガク!』という番組で、次のような字幕がありました。

 ミトコンドリア・イブ(ミトコンドリアDNAによって割り出された人類の祖先といわれる女性)

 ミトコンドリアDNAというものは母親からしか伝わらないため、母系の先祖を確実に遡れることになります。母→祖母→曾祖母→高祖母・・・というふうに。

 そして、およそ16万~20万年遡ると、すべての現生人類のミトコンドリアDNAは、ある一人のアフリカの女性に到達することになるのだそうです。

 その女性が、私達のミトコンドリアを遡る時間の旅で最初に出会う共通の母親ということになり、聖書に登場する最初の女性・イブにあやかって、ミトコンドリア・イブという呼び名がついたということです。

 そして、その名前の印象もあってか、ミトコンドリア・イブには「ある誤解」がつきまとうことになったのです。勿論、専門家の間ではそのような問題は起きてはいないのでしょうが、ちょっと生物学や遺伝といったものに興味のある素人さん(私のような)の間では、しばしばまことしやかに語られる誤解があるのです。

 それは、「私達現生人類は、たった一人のアフリカ人女性の子孫なんだ」というものです。でもそうじゃないんですよね~。ちょっと考えただけでも、先祖というものは、例えば祖母は2人、曾祖母ならなら4人存在するのに、その考え方では母方の祖母とその母以外の4人は無視されることになって、変ですよね。確実に遺伝子は受け継いでいるというのに。

 でも、そのことについて解説してある文章はおうおうにして分かりにくく、文系にはどうもしっくりこないのです。そこで、「根っから文系」、でも「自然科学も嫌いじゃ無い」の私が、解説を試みたいと思います。

 

 そもそも「ミトコンドリア・イブ」という存在で私達は何を知ることが出来るのか。それはですね、「現生人類の祖先はアフリカで誕生し、その後世界に伝播していった」という学説(アフリカ単一起源説)なのです。

 

 私達一人一人っていろいろな「要素」で出来ていますよね。例えば、女で、直毛で、舌を左右から巻くことは出来ない、とか。それらは遙か昔の無数のご先祖様(男女両方)から、延々と受け継がれてきたものなわけです(突然変異は今は考えないことにします)。

 そんな要素の一つにミトコンドリアDNAもあるわけです。そして、様々な「要素」のうち、ミトコンドリアDNAにだけ着目すれば、母→祖母→曾祖母→高祖母・・・→アフリカの女性、となるわけです。勿論、そのアフリカ女性にもお母さんがいて、更にお母さんのお母さんとつながって切りが無い、とも言えるわけです。

 でも、進化学上大事なのは「最初に到達する共通のミトコンドリアDNAの持ち主」です。なぜなら、その存在は先に書いたアフリカ単一起源説を裏付けるためのものだからです。でも、その女性はその時代のたった一人の女性だったわけではなく、たまたま娘を何人か産み、その娘達も娘を産み、さらに・・・と、現在まで途切れること無く女の子が生まれた「究極の女腹」とも言うべき女性だったに過ぎず、それ以上の意味はないのです。いえ、ある意味凄い事のような気もします。彼女以外の同時代の女性の子孫は、どこかの時点で娘が途切れたということなのですから。

 

 では、私の持つ「要素」のうち、直毛や舌を巻くことが出来ないと言った要素に着目すればどうなるでしょうか。それらはミトコンドリアDNAではなく、核DNAによる遺伝ですから、母系だけではなく当然父系の遺伝もあるわけで、それが現実の私達の遺伝状況なわけです。そして、もしもそう言った「要素」が、父方の遺伝ならば、先祖を遡る旅の出発点からして大きく異なることになり、当然辿り着く先はミトコンドリア・イブとは全く異なる人物となるわけです。

 このように、ミトコンドリア・イブとは、私達を構成する様々な「遺伝」の要素のうち、あくまでミトコンドリアに限定して辿り着いた祖先に過ぎないわけです。

 

 ミトコンドリアとは反対に、父系からしか伝わらないものがあります。Y染色体です。Y染色体は男性にしかないのですから。そのY染色体について、父→祖父→曾祖父・・・と辿っていきますと、やはり一人の男性に行き着くことになるらしく、それは「Y染色体アダム」と呼ばれるそうです。

 よく、「赤の他人だと思っていたのに、家系をたどっていったら遠い遠い親戚だった」なんて話がありますが、全人類規模でも、家系の辿り方によってそういうことがあるのだなあと、つくづく科学って面白いなと思うのです。

 いかがでしたでしょうか。エデンではなく、遺伝のお話でしたが、少しでも「面白さ」が伝われば嬉しいのですが、もし、「難しい」とお感じの方がいらっしゃいましたら、お勧めしたい物があります。それはアダムとイブが食べたとされる「リンゴ」です。「知恵の実」と言われるぐらいですから、きっとお役に立つかと思います。特に、青森県産リンゴ、これはお勧めです。では。