おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

夏の音

 弘前もこの頃やっと暑くなって、盆地の本領を発揮し始めました。でも、おばさん一人暮らしではエアコンを使うほどでもないので、窓を開け、夜になっても閉めず、網戸を頼りに過ごしています。

 

 私の住むところは静かな住宅街なのですが、八時、九時といった遅い時間でも、この季節は時折外から人の話し声が聞こえることがあります。男性同士のこともあれば、男女の声高な会話であったり。夏という季節に心がざわめている、そんな気がする暗闇からの声です。

 本当であれば、今は『ねぷた』の真っ最中。

 笛・太鼓に鉦。「ヤーヤードー」のかけ声は、腹の底からの男性の低いもの、子供の元気いっぱいのものなど、色々な声が混じり合って、津軽衆の心をざわめかせずにはおきません。

 合同運行を終えて各町内へと帰って来るねぷたから聞こえてくるのは、「ねンぷたの、も~どりこ」という一段と明るい調子。

 「ねぷたなんて、毎年変わり映えもしない」と嘯くへそ曲がりも、やっぱり道路に出て一目見ずにはいられないといった心持ちになります。これはもう、「ざわめく」ではなく、津軽弁の「じゃわめぐ」ですね。

 真夜中の11時も過ぎた頃、布団の中で聞くねぷたの太鼓の音も風情があります。風に乗ってどこか遠くから、かすかに聞こえてきます。

「遅い出番だったねぷたは、今頃帰って来たんだ。大変だなあ、明日も仕事はあるだろうに」そんな事を思いながら眠りにつく8月4日。なのに・・・。今年は「ねぷた」の音の無い夏です。

 

 そう言えば、去年はうるさいほどのカッコウの鳴き声が夜になっても響いていたのに、今年はほとんど聞かなかった気がします。私の家の辺りでは、蝉の声もまだ聞かれません。鳥や虫までいつもとは違っているのでしょうか。

 

 夕方遅い時間に、本の返却のため市立図書館に行きました。

 雑誌コーナーで拾い読みをしていると、DVDか何かの視聴コーナーでしょうか。ヘッドホンをつけて何かを見ていた男の子が、弾けるように笑い出しました。我慢しようと思っても止まらない、そんな笑い声でした。

 ああ、夏休みなんだ。とりあえずの夏休みだ。あれも中止、これもだめ。でも、子供達には夏休みなんだなあ・・・。

 そんな事を思いながら時計をみると、6時半を過ぎています。駐車場は1時間まで無料、こういう所が地方のいいところですね。かんむりょうです。さて、無料のうちに帰ることにします。

 市立図書館の向こうには、夏木立でうっそうとした弘前公園が広がっています。

 ハッとしました。

 淡くピンクがかった夕焼け雲の下、賑やかにセミの声が響いていたのです。夏なんだねえ、間違い無く。では。

武田百合子『あの頃』を読んでいます 後編

 「文は人なり」と聞きますが、武田百合子の文章の魅力は彼女自身の魅力そのものなのだろうと思います。飾り気が無く、あけすけなのに節度があって。偉ぶらないのにどこか知的。そして、愛情深い。

 

 『よしゆき賛江』と題された短い文章で、武田百合子は一目見た瞬間に恋い焦がれることになった吉行淳之介への思いを、なんの衒いもためらいも無く書いていきます。文章中には「恋」といった表現は出てこないけれど、圧倒的な片思いとでも言うべき感情が実に素直に書かれていて、私は感心したのでした。

 絶対に手の届かないもの、どうやっても自分を振り向いてはくれないと分かっている人。なのにというか、むしろ手に入らないからこそ欲しいその人。普段、会うことが無ければ意識にものぼらないだろうに、顔を見た瞬間に心うばわれてしまう。相手にはそんな気は全然無いのに・・・。ちょっと、吉行淳之介ってどんだけ凄いの?

 

 『よしゆき賛江』の最後の5行を紹介します。百合子氏と淳之介氏の会話の部分です。

 

「お岩の旦那に似ているのね」いつかそのような折にいったら

「ああ伊右衛門ね、誰とか(名前を忘れた)にもいわれたことがある」と当たり前の顔をしていっていた。もしも、私の住んでいるアパートの隣り部屋に吉行さんが越してきたら、私は困ってしまうだろう。隣りに住んでいると思っただけで、気になって気になって、お岩になってしまうのではないか。

 

 前編で書きましたが、武田百合子54歳の文章です。可愛らしくも、どこか色っぽさがあるのです。でも、その魅力も吉行淳之介氏には通じないのでしょう。恨めしやーといったところでしょうか。

 

 ところで、冒頭で「文は人なり」と書きましたが、私のブログを読んで下さっている皆様には、私の「人となり」はどのように感じられますでしょうか。

 素直で真面目で謙虚で正直、そんな私の真の姿が伝わっておりますよう、願っております。これは「伊右衛門」つながりで化しているのではありませんよ。私、真面目なので。では。

武田百合子『あの頃』を読んでいます 前編

 老眼になったからか、集中力・記憶力が衰えたからか、本というものを読まなくなってしまいました。それでも、読書習慣をすっぱり捨てるというのも後ろめたく、「たまには本でも読まないと」という、半分義務感のようなもので本を手にすることがあります。

 本を読まないことを後ろめたく感じるというのは、「生徒」だった頃にすり込まれた「本を読むのはいいこと」「本を読んで人間は成長する」、みたいな思い込みから抜け出せないでいるからでしょうか。成長するかどうかはともかく、まだまだ長い人生、先行きの時間つぶしについて考えると、

読書は、

 1.お金をかけなくてもいい(古本もあるし図書館なら只ですもんね)

 2.季節や天候に左右されない

 3.一人で出来る

 4.体力を要しない

 ざっと考えただけでもこんなに利点があります。離れるのは、もったいないですよね。

 

 十日ほど前に思い立って市立図書館に行き、こちらを借りてきました。

 

あの頃 - 単行本未収録エッセイ集

 

 本は滅多に読まなくなってしまったものの、エッセイはまだ辛うじて読めるし、もともと武田百合子の文章が好きだし、何よりも装丁のクッキリとした美しさが際立って、目に入った瞬間借りることに決めました。

 

 期待通り面白いです。でも、面白いのに長くは読んでいられなくて、やっと半分ぐらい読んだ所です。(昔は本を読むのは結構早いほうだったのになあ、本当に年をとったなあ)

 始めの方に収録された『よしゆき賛江』という短い文章についてちょっと書こうと思ったのです。が、前置きが長くなってしまったので、今日はさわりだけにしておきます。

 

 その文章は武田百合子が54歳の時に書いたものです。彼女が22、3歳だった頃、当時まだ大学生だった(作家活動はしていた)吉行淳之介に初めて会った時の印象から筆を起こしています。なんてきれいな人だろうと、そのとき茫然としたのだそうです。

 この箇所を読んだとき、思い出した事が二つありました。一つは吉行淳之介の妹で女優の吉行和子の文章です。

 不正確ですが、『若い頃女友達に、お兄様おきれいな方ねと、良く言われた』という感じだったと思います。「お兄様」というのは多分に和子氏の謙遜とユーモアの表現だとは思うのですが、男性に対して「きれい」という褒め言葉は凄いな、そう思った記憶があります。今回、百合子氏も氏をきれいな人と評しているのを読み、淳之介氏は美男子とかハンサムという域を超えていたんだろうな、そんな風に思いました。

 もう一つの思い出は、学生時代の1歳年上の女の先輩の事です。「作家は吉行淳之介が大好き」という彼女に、私が「『夕暮れまで』しか読んだことが無いんです」と言った時に返ってきた言葉です。

 「私もあんまり読んだことはないの。でも顔が好き、大好きなの」

 一口に好きな作家と言っても、その理由は様々ですね。私自身は淳之介氏の顔に関してはあまり印象にないのです。氏が年上過ぎたからなのか、あるいは私がまだまだ子供だったからなのか・・・。

 

 さて、続きは明日書くことにして、ふと思った事があります。それは、人は年をとると何かにつけて思い出す昔のことがたくさんあって、それが集中の邪魔をするのでは無いだろうかということです。読書の妨げになったりとか。

 実際、このブログを書いているときも、「吉行和子って、『ふぞろいの林檎たち』で柳沢慎吾のお母さんやってたな」と思い出して気になり、Wikipediaに寄り道してしまいました。

 こうやってあっちふらふらこっちふらふら、覚束ないのは足元ばかりではないのだなというのが年をとっての実感です。もうちょっと心を引き締めないと、そんな風にも思いました。

 あれっ、心を引き締めるって、慣用句では何を正すって言うんだっけ?

 答えは、 

 えりい~♪ ふぞろいの林檎たち(1983~)のエンディングです)続く。

幸せそうな三人の女達

 昨日は『れんが倉庫美術館』隣のレストランで朝食をとりました。その後は、芝生の広場を挟んで美術館と向かい合うベンチにしばらく腰掛けていたのです。

 美術館前を行き過ぎる人々を眺めるとも無く眺めていると、三人連れの女性の姿にふっと心惹かれるものがありました。きっと、羨ましかったのだと思います。

 

 美術館を背に並んで立っている二人の女性は二人とも杖を片手にしており、もう一人の、遠目にも中年女性と分かる方が撮影係です。何の根拠も無いのですが、娘・母・祖母の女三代で美術館を訪れたのだろうと思いました。40代、60代、80代かなあ・・・。

 「ババア幸せだなあ、娘と孫が孝行で」と、毒蝮三太夫のような感想が浮かびました。孫も幸せだよねえ、親孝行、祖母孝行出来て。私にも覚えがあるけれど、お祖母さん孝行する嬉しさと、それがそのまま親孝行になる満足って、充足感あるよねえ。私はとっくに二人とも亡くなってしまったけれど。

 でもこの瞬間、一番嬉しく幸せなのは、なんと言ってもお母さんだよね。そう思いました。娘に美術館に連れてきて貰える幸せ。娘が祖母、つまり自分の母親に優しくし、それを老いた母が嬉しく思う様子を見られる幸せ。

 もしかしたら、実際は娘は鬼の形相で「はやぐ!」と怒鳴ったりしているのかもしれないけれど、隣の芝生ならぬ芝生を挟んだ遠い景色は、実にほのぼのと羨ましい眺めでした。

  

 昨日は朝食を外食にするという初めての試みをしました。窓外の眺めを楽しみながらゆっくりと朝食を頂いて、「旅行の朝食のようだ」と思いました。そして、「コロナ禍で本当の旅行は楽しめないけれど、こうやって『気分は旅行』を楽しめばいい」と考えました。でも、駄目なんですよねえ。やはり地元に居ては、どんなに非日常的な行動をしようと、やっぱり旅行気分にはなれないんです。だからこそ、人は「旅行したい」と思うのでしょう。それとも私が修行不足で、旅の達人ともなれば、どこに身を置こうとも「瞬時にして旅気分」になれたりするのでしょうか。

 

 一方。

 「記憶を旅する」という言い方がありますが、こちらの「旅」は年々上手になっている気がします。ドラえもんと違って、私たちの「時間旅行」は過去にしかいけないので、過去が多いほど、つまり年をとればとるほどその引き出しは多くなるわけです。

 不思議なのは、古い引き出しほどスルスルと容易に引き出せるのに、最近の引き出しはしぶくてなかなか引き出せないばかりか、やっとの思いで引き出すと空っぽだったり。何事も諦めが肝心。空っぽを嘆くより引き出せる引き出しを潔く楽しんだ方が得策かも知れません。

 

 私は昨日、美術館を望むベンチで一人、亡き母や祖母を偲ぶという思いがけない「時間旅行」が出来たわけです。ただ、申し訳ないと思うのは、こんな時でも亡き父は生前同様「仲間はずれ」な事です。いえ、きっと「留守番」をしてくれているのでしょう。そう考えることにします。あの世でも来客というものがあるのかもしれないし。

 お客さんはきっと、「あのよ~」と言ってたずねてくるんでしょうね。では。

自分にお祝いをする

 自分に「良かったね~」と言ってあげたいことがあったので、お祝いに珍しいことをしてみようと思い立ちました。「良かった事」は後で書くことにして、まずはどんな珍しいことをしたかです。

 

 朝食を外に食べに行きました。

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 弘前市に『れんが倉庫美術館』がオープンしたことは以前ブログに書きましたが、美術館の隣にレストランがありまして、9時からオープン、朝食メニューというのがあるのです。写真手前の少し低い煉瓦造りの建物がそのレストランです。

 

 9時半頃に到着し、看板が立っている入り口から中に入ると、私が本日最初のお客のようです。建物の側面にもぽっかりと入り口の様な空間が見えますが、そこは大きな窓になっていまして、眺めのいい四人がけの席があるのです。他にお客さんがいなかったのでその席を希望し、ゆったりと景色を眺めながら朝食(ベトナムの麺料理・フォーを選びました)を頂きました。

 「旅行に来て贅沢な朝ご飯を頂いているようだ、そうだ、気分だけでも旅行のつもりになればいいんだ」そんな風に思おうとするのですが、やっぱり本当の旅行とは違いますね。何がどんな風に違うのか考えてみたのですが、ちょっと答えは見つかりませんでした。

 

 さて、話は最初に戻って、どんな「良かった事」があったかです。

 実は二週間ほど前の夜、突然右脚の付け根に痛みを感じ確認すると、ウズラの卵ほどの「ぐりぐり」が出来ていたのです。痛みはそれ程強いものでもなかったので「何だろう」と不思議に思いつつ就寝。翌朝見てみると、「ぐりぐり」から少し下がったところが真っ黒に内出血していました。「ああ、小さい血管が切れて出血してぐりぐりが出来たんだな」そう考えて、様子を見ることにしました。「ぐりぐり」も少し小さくなったし。

 ところが、その後痛みなどはほとんどないものの、二週間たっても「ぐりぐり」が消えないのです。さすがに心配になってきて、友達に「内科の女の先生ところ、知ってる?」と相談しました。「ぐりぐり」の場所が場所なので、やっぱり女の先生がいいなあと、おばさんながら思いましたし、普段病気とは縁が無いのでかかりつけ医というものも無いのです。

 28日火曜日の午後、友達から教えられた内科医院へ。

 「う~ん、何だろう。これは内科と言うより、婦人科がいいと思います」 

 そのまま婦人科の病院へ行きました。一応婦人科は検診等でお世話になっている医院があります。

 「う~ん、婦人科ではないね。これは皮膚科だ。まあ、悪いものではないと思うんだけどね」

 その日はもう遅い時間だったので、皮膚科へは次の日に行くことにしました。ところが、次の日になると妙に億劫になってしまって(悪いものではないと思うと言われた安心感もあって)、結局30日木曜日に、皮膚科(女医さん)に行きました。

 「これは外科ですね。もしかかりつけが無くて、隣(系列ということです)でよければ電話を入れますが」

 ということで、すぐお隣にある外科を受診することになりました。そして、エコーで調べて下さった結果、「何らかの理由で出血して、血の塊が出来ていますね。このまま特に何もしないで様子を見ていいですよ」という事でした。

 終わった。医者巡りの長い旅がとうとう終わった。そんな気分で心底ホッとしたのでした。

 

 実は、皮膚科までは「大したものではないだろう」と暢気に構えていたのですが、外科と言われた時から心臓が大きく打ち始めていたのです。

 「どうしよう、外科から回されるとしたら次は大学病院だ」とか、

 「もし入院になったら、コロナのことがあるから退院までずっと一人だ」とか、不安材料がつぎつぎと頭をもたげてきました。

 それを如実に表していたのが血圧です。私は普段は高い方で100ぐらいの、割と低めの方なのに、その時は140!人生の最高値!看護師さんに「もう一度はからせて」とお願いしてしまったのです。でも、結果は上に述べたとおり。案ずるよりってやつですね。

 

 ということで、今朝はお祝いの優雅な朝食となったのでした。十分お祝いに値するでしょう?

 では最後に、喜びの雄叫びを上げたいと思います。フォー! 

岩木山登山 小雨決行 3

 シャリバテという登山用語があります。簡単に言いますと「お腹が空きすぎてもう駄目」であり、少し難しく言うと「低血糖」のことです。

 山を登っている間、ポケットからチョコレートを取り出して食べたり、休憩ではクッキーをつまんだりと頻繁にエネルギーを補給しているのですが、山で消費するカロリーは想像以上です。普段から朝食は少なめなせいもあり、8合目の休憩所についたときは嬉しさや安心感以上に、「お腹空いてる、私、チョーお腹空いている」という発見にも似た驚きがありました。8合目を目前にふらふらの私を含む数名に、先導役の方が言った言葉が脳裏によみがえりました。

 「8合目で休んで、食べる物食べて、その後の回復具合でどうするか決めましょう」

 

 おにぎり(コンビニで買いました)というものは何時でも美味しいものですが、中でも山で食べるおにぎりは本当に美味しい。鮭おにぎりに脇目も振らずかぶりつきながら思ったのは「海苔、サイコー」ということです。白米も鮭も美味しいに決まっていますが、この時は海苔の美味しさに全身が包まれるような、そんな気がしました。とんでもない空腹の中で一番最初に味覚が受け取ったものが海苔だった、そういうことなのかもしれません。

 おにぎりを一個食べ終わり、濡れたTシャツを着替えると、不思議なほど元気が出てきました。シャリバテとは本当によく言ったものです。なんと言っても白米=シャリに勝るエネルギー源はありませんね。

 でも、無理は禁物。ここは慎重に、9合目までリフトを使うことに決めました。先に出発する「歩き組」を見送り、私たち「リフト組」も出発です。リフトのシートのウレタンから伝わるじんわりとした暖かさをお尻に感じ、なんとなく癒やされながら9合目到着。

 岩木山9合目からはそれまでの登山道とは趣がガラッと変わり、火山岩がゴロゴロと連なる岩の道です。一歩間違えば大変なことになるのは明らかです。それでも、登山道脇には可憐な山野草の花が咲き、緊張しながら登る登山者の目を楽しませてもくれるのでした。 

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  幸い雨は上がっていました。下界より10℃気温の低い岩木山山頂は、曇り空の下肌寒いぐらいで、私にはかえって好都合でした。踏ん張りのきかなくなっている足元に注意を集中し一歩一歩進みます。

 「その先を曲がるとヒュッテが見えますから」という先導役の言葉に、

 「ヒュッて、目に入るのね」というダジャレを返したかったのですが、疲れているときのダジャレは人の心を逆なでし、一層疲れさせるということも学習してきているので控えました。

 鳳鳴ヒュッテと呼ばれる避難小屋を過ぎ、頂上まではもうひと頑張り。おにぎりパワーのお陰か、休み休みながら脚は上がります。

 そしてとうとう、山頂、四度目の岩木山山頂です。(20代の頃に麓から、40代前半に8合目から、40代後半に9合目から登った事があるのです)

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 残念ながら、四方八方真っ白な霧というか雲というかに包まれて、頂上からは何一つ見えませんでした。でも、今回は雨の中を登ることが出来た(リフトは使いましたが)ということで、満足しています。樹幹流を見るという経験も出来ました。

 残りのおにぎりを食べ、後は9合目のリフト乗り場まで慎重に下りていくだけです。出発を告げるリーダーさんが言いました。

 「皆さん、とにかく気をつけて下りて下さい。先日、ドクターヘリが来ましたが、今日のこの視界ではヘリは来れないので。ゆっくりでいいですから、慎重に」

 

 下り始めると、私の前を行く女性が言いました。

 「何も見えなくて良かった。晴れていると両側の崖が怖くて、私は後ろ向きで無いと下りられないんだよね」

 物は考えようと言いますが、本当に色々な考え方があるものです。晴れればよし、雨もまたよし、霧も良し。いずれにしろ、無事に帰宅出来てこそ。慎重に、慎重に。そして無事に三つの難所を越えて9合目到着。リフトに揺られながら、無事に終わった事にとにかくホッとしたのでした。

 

 残念ながら、今回は「命の洗濯」というほどの景色には遭遇できませんでした。その代わり、家に帰れば本当の洗濯が待ってるのです。それこそ山ほどのね。頑張らなきゃ。では。

岩木山登山 小雨決行 2

 標高1625Mの岩木山は、8合目までは「津軽岩木スカイライン」と呼ばれる有料道路が通じており、8合目には立派な休憩所もあります。また、8合目から9合目まではリフトも設置されていて、いきなり9合目から頂上までの登山を楽しむと言うことも可能なのです。

 

 6合目辺りだったでしょうか。雨が止み、森の切れ目からかすかに雲海を見下ろすことが出来ました。先導役の方が言います。

 「頂上が晴れていれば眼下に雲海が広がりますよ。晴れていればですが、ちょっと難しいかな」

 雲海が見られるかどうかは、運かい!そんなダジャレががチラと頭をかすめたのですが、あまりにも疲労困憊でそれどころではありませんでした。とにかく8合目まで、8合目まで行ったら選択肢は三つだ。

 1.8合目で皆がおりてくるまで待つ

 2.9合目までリフト。その後頑張る

 3.頂上まで自分の脚で頑張る

 実は、下山については最初から8合目からチャーターバスで下りると言うことになっていました。なので、下山の体力を考えること無く、8合目についたらとにかく登れるかどうか、それを自分に問うのだ。そう考え考え、私と同じぐらいバテてきている数名のメンバーと、ゆっくりゆっくりを歩を運んでいきました。

 体力・気力に余裕がある内は、先導役の「休憩です」の声を待って立ち止まるのですが、この頃になると、「洟をかみます」とか「水分とります」とか、自分から立ち止まるようになります。しかも、綺麗な岩でもあろうものなら雨で濡れているのにもかまわず、腰を下ろしてしまうのです。我慢できないのです。前回の白岩森林公園登山の時に、山の用語で休憩のことを「1本立てる」というのだと知りました。1本どころか、100本ぐらい立てたい、そんな気分です。

 もうレインウエアなんか着ていられない、雨が降り出したらまた着ればいい。Tシャツ姿になって少しだけ元気を取り戻して出発。あれっ、なんか聞こえた。

 「今、エンジンの音聞こえたね。スカイライン近いね」

 バテバテ仲間と、あと少し、あと少しだねと励まし合いながら足取り重く進みます。あと少し、あと少し・・・。行く手の深い霧の中に何かが見えてきました。リフト乗り場の屋根です。ああ、ホントにあと少しだあ!

 気分も上がります。リフトだけに。続く。

 

↓ ツルリンドウの白い花。花を見るのは初めてです。

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 昨年12月に銀山温泉で撮影したツルリンドウのです。この時初めて「ツルリンドウ」の存在を知り、花も見てみたいなあと思っていました。今回その夢が実りました。

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