おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

書の力

 最近は歩いて買い物に行くことが多いのですが、今日は雨が降っていたので、車でイトーヨーカドーに行きました。私はいつも第二駐車場を利用するのですが、そこからヨーカドーまでは地下通路を通って行くことになります。

 この地下通路の壁面は展示スペースとして活用されており、絵や書など、幼稚園・保育園児から小・中・高校生までの多彩な作品展が、入れ替わりで行われているのです。

 買い物の行き帰り、このコーナーをみるのも楽しみです。作品のユニークさ面白さ、そして素晴らしさも堪能できるのですが、皆さんの名前をみるのも大きな楽しみです。特に、小さいお子さんの名前は平仮名で書かれているので、漢字を想像したり、あまりのユニークさに呆然とさせられたり、興味は尽きません。

 

 さて本日ですが、「日本教育書道会・桜風支部」の作品が盛大に飾られていました。

 弘前地区は書道の盛んな土地柄らしく、いろいろな書道会の作品展をみかけます。そして、その作品のことごとくが「うまい!」と声が出そうになるほどの出来映えなのです。小学校低学年の作品にも、いつも「負けた」という思いがします。

 そして、今日目にした作品の数々は上手いばかりではなく、思わず笑ってしまうという、書道にしては珍しい題材のもでした。好きなパンの名前、世界の未確認生物、焼酎の銘柄などなど。中でも、私が一番受けたのがこちらです。しょどう的にシャッターを切りましたよ。

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 特に、中大兄皇子の「弟の奥さんをうばったけど好きになってもらえない」という説明書きの切なさ。権力者であってもままならないのが人生、胸を衝かれますね。

 どうぞ皆さんもじっくりご覧下さい。癒やされるっしょ?では。

作るために作ったよ

 最近は編み物と平行して、縫い物にも手を出しています。

 自分で何かを作るのは勿論好きなのですが、人が何かを作っているのを見るのも好きなのです。特に、縫い物の達人の方々の作業をYoutubeで拝見すると、その手際の良さに、しばしばうっとりとしてしまうのです。

 

 私の欠点の一つは妙に杓子定規なところです。教えられたことや説明書に書いてあったことはそうしなければならないものだと思い込み、その通りにやらないと気が済まないというところがあるのです。

 ところが、Youtubeでいろいろな人が「私のやり方」を披露しているのを視ているうちに、ちょっと考え方が変わって来たのです。結果が大差なければより簡単なやり方でやるべき、という風に。

 今私が縫い物をしているときは、これまでの「ものを作る楽しさ」に、さらに新たな楽しみも加わりました。それは、「いかに手を抜くか」の探求です。手抜き=合理的な方法を工夫し、手作りライフをエンジョイしていきたいと思います。

 

 また、Youtubeやテレビの物作りの番組をみていてつくづく思うのは、道具の大切さです。完成度の高い作品を作るために必要な道具もありますが、手を抜くためにも、やはり便利な道具は欠かせないのです。

 私が少し前に知った便利な裁縫道具の一つに、専用の「重し」があります。恐らくずっと前から存在していたのでしょうが、それを使うほどの腕前でもなかったので、目に入らなかったのだと思います。が、Youtubeをみていると、「重し」はまち針の代わりになったり、布のずれを押さえたりと、スピーディーな作業には欠かせない活躍ぶりなのです。猛烈に欲しくなりました。でも、ある講師の方が言っていました。「ある程度の重さがあればなんでもいいですよ」と。で、代用品がないかと探した結果がこちらです。

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 使い心地はかなりいいです。捨てるに捨てられなかった「小石」にも活躍の場が出来、一二鳥とはこのことです。

 

 ついでにもう一つ、リサイクルというかリフォームというか。

 子供が小さかった頃、ANAでもらったピカチュウのリストバンド。こちらも手を加えて(と言うほどの事でも無いのですが)、バンドの部分を長くし、大人サイズにしました。

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 しばらく前に引き出しの片付けをしていたら出てきました。なんとなく捨てられずにいたのですが。こんな風に使います。

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 どうでしょう?お針子さんが腕にしているやつです。プロっぽくないですか?ちょっと形から入ってみようと思います。

 これでやる気もアップして作業がはかどれば、ポケモンならぬ、もうけモンということで。ピカチュウにはチクッとするでしょうが、ちくと我慢してもらいましょう。では。

おばさん歩けば桜にあたる

 去る5日、お友達に誘われて弘前市総合運動公園にウォーキングに行きました。

 「2時頃、歩きませんか」というお誘いのメールに気づいた11時過ぎ、ちょうど雨がポツポツ落ちてきていました。天気予報を確認すると、2時の降水確率90%。久しぶりに歩きたかったのですが、「雨で無理みたいですよ」と返信して諦めました。

 ところが、昼過ぎからだんだん天気が回復し、2時には爽やかな青空となりました。慌ててその友人に電話して、急遽歩くことに。コロナウイルスを警戒してどうしても閉じこもりがちになってしまうので、友人に会うことも、ウォーキングをすることも、とても嬉しくってウキウキとしてしまい、運動公園で何か作業をしてた職員のお兄さんにジッと顔を見られてしまいました。

 えっ、何?3月にウォーキングする人が珍しいの?でも、私以外にもおばさんの姿がちらほらあるけど?そんな事を思いながら待ち合わせ場所へ向かいました。

 ひとしきりしゃべったり笑ったり、おばさんのウォーキングは足ばかりでなく、口や顔の筋肉も良く動くのです。でも、歩くのは二人とも久しぶりなのであまり無理をせず、3、40分ほどで切り上げることにしました。

 

 二人で駐車場に向かう途中、何か枝を抱えたご婦人を発見!

 「ねえ、あの方の抱えている枝、桜じゃない?」「どこかで貰えるのかも」

あっ、と思い当たりました。私が待ち合わせ場所に向かっているとき、野球場の陰で作業をしていたお兄さん。私の顔を見て目が合ったのは、桜の枝をもらいに来た人かと思ったからに違いない。そう友人に話し、急いで野球場に向かいました。何かを貰えるとなったときの人の勢いって凄いですね。ウォーキング以上に足取りは元気でした。

 剪定した桜の枝は「お一人5本まで」ということで、好きな枝を選ぶことも出来るし、親切に5本ずつに束ねてあるものを頂くことも出来るのでした。私も5本頂いてきたのですが、その内の3本を居間に飾りました。

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 職員の方がおっしゃるには、「2週間程度で咲きますよ」ということでした。楽しみです。

 私の住む弘前市は桜の街として名高いのですが、その桜が見事な花を咲かせるのは、リンゴ栽培で培った剪定技術によるところ大なのだそうです。私は今回たまたま運動公園で桜をゲットしましたが、弘前公園でも毎年希望者に剪定枝を配布しています。

 昔から「桜剪るバカ、梅剪らぬバカ」と言って、桜は剪定するものではないとされています。私たち弘前市民にとって、剪定した桜の枝を手に入れて、この時期に室内で一足早い桜を楽しむというのはそれほど珍しいことではありません。でも、ひょっとしたら、他の地方の方にとっては「なんて贅沢!」と思われるようなことなのかも。開花のあかつきには、拙ブログで写真をご紹介したいと思います。

 

 せっかくウォーキングの誘いを頂いたのに雨。ところが、天気予報を覆し、一転しての青空に。そして、運動公園では桜の剪定枝を頂く。

 禍福はあざなえる縄のごとし、と言います。コロナウイルスで先行きが案じられる今日この頃ですが、せめて気持ちは明るく前向きに、ささやかな楽しみ・喜びを見つけたいと思います。桜の開花のブログ、お楽しみに。お読み下さる際は、是非「開花の回か」と言って下さいね。では。

家の~外では~、坊やが遊び~♪

 昨日と今日、私のブログのタイトルにピンと来た方は50歳以上でしょうね。昭和49年の大ヒット曲、小坂明子さんの『あなた』の歌詞の一節から拝借しました。

 

 一昨日、車を運転しながらラジオを聞いておりましたら、『あなた』が流れてきました。私は歌はあまり口ずさむことはないのですが、なぜかこの曲の「そして~私は~」のところになりますと、ついつい一緒に歌ってしまうのです。そうでしょ?あなたも歌っちゃうでしょう?『あなた』だけに・・・。

 それでですね、「レースを編むのよ~」のところで、「嗚呼」となったわけです。この頃はレース編みも趣味の一つとしてメジャーだったんだなあと。昭和は遠くなりにけりだなあと。

 そして、気持ちよく歌い終わった後、ふと気になったのが「家の~外では~坊やが遊び」のところの「坊や」という言葉です。これも昭和の言葉だなぁと、思いました。今、小さな男の子に対して「坊や」と呼びかける人って、どのくらいいるんでしょうか。さらに、自分の幼い息子のことを「坊や」と表現するお母さんにいたってはどうでしょう?ひょっとして絶滅?

 ある言葉が古くさくなって使われなくなってしまうのって、あっという間なんですね。

 

 「坊や」という言葉に関して、印象に残っているのは、アニメ『巨人の星』です。伴宙太が星飛雄馬の姉・明子から「大きな坊や」と嘲られたシーンは印象的でした。(あれっ、ひょっとして明子という名の女性は「坊や」という言葉が好きなのかしら)さらに伴は、飛雄馬の父・一徹から「とっちゃん小僧」と叱咤されたこともあり、その大柄な体格に似合わず「坊や」扱いされるのは、やはりお金持ちのボンボンという育ちが関係するのでしょうか。

 さらに、「坊やだからさ」という有名なアニメの台詞がありますが、ご存じでしょうか。以前、テレビのCMで知ってちょっと気になっていたので、今回ググってみました。

 なんでも、『機動戦士ガンダム』のなかで、シャアという人物が、死に追いやった旧友にたいし、その死の理由として呟いた台詞ということでした。その旧友もまた、ボンボンだったようですね。

 なるほど、「坊や」=甘ちゃんということですね、ボンボンだけに。

 

 最後に、全然関係の無い話なのですが、その時聞いていたラジオで、「次のリクエストは、ラジオネーム、織田ゴム長さん」という紹介があり、思わず吹き出してしまいました。世の中にはセンスのある方がいるものです。私もぼうやぼうやしてはいられません。では。

 

そして~私は~、レースを編むのよ~ ♪

 レース編みの作品が完成しました。

 レース編みとは言っても、今回はレース糸ではなく、十数年前に購入してちょっと使い、残りをしまい込んでいた「正体のよく分からない糸」を使用したものです。

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 大きさは26㎝×48㎝。ダイニングテーブルの中央にちょうどいい大きさに出来ました。レース糸よりだいぶ太く、色も生成り色だったので、どんな感じに出来上がるかちょっとドキドキだったのですが、気に入っています。

 以前、レース編みの作品は、出来上がっても置く場所がないというような事を書いたことがあります。真っ白のレース糸で編んだ作品はあまりにも繊細と言いますか華麗と言いますか、どうも庶民の生活空間には似つかわしくないのです。

 ところが怪我の功名で、太めの生成り糸で編んだものは、ざっくりと素朴な風合いがあって、我が家のテーブルに良くなじむのです。

 さて、上には何を置きましょうか。置くものもあまり気取らないものが似合いそうな気がします。

 さてさて。

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 昨日から育て始めた豆苗です。ガラスの鉢に入れて置いてみました。ガラス鉢だと水の管理もし易いという実用的メリットもあります。

 きなり色のレースの敷物にいきなり豆苗が登場。どうでしょう?豆苗の表情が幾分神妙なような。微妙かな?では。

豆苗に挑戦

 私たちが子供の頃は、「豆の芽」といえばモヤシしかありませんでした。大人になってから随分たってからですが、豆苗(とうみょう)の存在自体は知ってはいました。ただ、私は昔から「料理すること」に対する好奇心といったものが希薄で、食べたことがないもの、食べ方の分からないものには手が出ないのです。決して好き嫌いの多い方では無いのですが。信じられないかもしれませんが、豆苗は買ったことも食べたことも無かったのです。

 2月の半ばに、東京でアパート暮らしの息子その2が帰省しました。二人でスーパーの食品売り場を歩いていると、息子が言いました。

 「豆苗ってうまいよね。結構食べてる。でさ、食べた後の根に水を入れておくと、また収穫できるんだよ。めっちゃ経済的」

 世間的には何を今更の会話なのでしょうが、私にとっては息子の成長(?)ぶりに目を見張らされるものがあり、同時に自分の生活の十年一日ぶりを反省させられるものだったのです。

 「凄いね。どんな風に料理するの?お母さんに教えて」

 そんな風に答える私の心の片隅に、豆苗に対するかすかな灯明が点ったのでした。

 

 人生には大なり小なり「不思議~!」とか「凄い偶然!」と驚く瞬間があるものですが、息子が東京に戻って数日後、その瞬間が訪れました。

 何気なくみていたNHKの『あさイチ』という番組の特集が「豆苗」だったのです。ゲストの阿佐ヶ谷姉妹が、豆苗の素晴らしさ、可愛さについて熱く語っていました。その語りを聞いているうちに、私の中に豆苗に対する好奇心が盛大に芽生え(豆苗だけに)、今度スーパーに行ったら絶対に買ってこようと決心したのでした。でも、「食べたい」と思ったのではありません。「育てて収穫してみたい」と思ったのです。

 

 ところが、ちょっと前に購入したものの、冷蔵庫の野菜室に入れてついうっかり忘れていた豆苗。昨日やっと食べました。『あさイチ』で紹介されたガーリック炒めにして。シャキシャキと美味しく出来ました。

 そして、いよいよ「栽培」開始です。 

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 テレビでは、上手く管理すれば2回は収穫できると言っていました。そのために大切なのは日当たりのいいところに置くこと。そして、雑菌の繁殖を防ぐために最低でも一日一回、出来れば2~3回は水を全取っ替え、そう、足すのでは無く、いったん水を全部捨てて新しいものに入れ替えることが重要なのだそうです。

 つまり、マメな管理が必要と言うことなのです。豆苗だけに。頑張りたいと思います。では。

建築家ローエの言葉

 20世紀を代表する建築家の一人に、ドイツ人のルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエがいます。

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ - Wikipedia

 

 建築に詳しくない人でも(私も詳しくないですが)、

 「God is in the details 」(神は細部に宿る)とか「 Less is more」(より少ないことはより豊かなこと) といった、彼の掲げた標語は聞いたことがあるかもしれません。

 あるいは、「美は細部に宿る」という言い回しならどうでしょうか。こちらは本来の「神は」がいつの間にか改変されて、広く人口に膾炙しているということのようです。どちらにしても、小さな事をおろそかにしてはいけないとか、細部にこそ作者のこだわりや技術の粋がこらされているといった意味でしょう。

 

 昨日の記事で、私のひな人形を紹介しました。飾った年数より箱にしまったままの年数の方が多いせいか(苦笑)、50年近い年月を経ているのですが、傷みが少なく結構綺麗です。

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 私は決して几帳面な性格ではないのですが、一日中家に居てしょっちゅう目に入るせいか、今年に限って「房の乱れが許せない」気分になりました。そこで、寝癖を直すように水をつけてブラシを入れたところ、びっくりするほど簡単に房が整ったんです。

 そして、さらに驚いたのがお雛様の雰囲気が変わった事でした。なんというか、お姫様としてあるべき姿と言いますか、「ちゃんとした」お雛様になったという感じでした。

 

 世の中には「目利き」とか「審美眼がある」といわれるような方たちがいて、そういう方であれば建築や工芸や芸術や、様々な対象物の細部に宿る「美」や「技」をたちまち見抜くのでしょう。残念ながら普通の目しか持っていない私などは、ついつい表面的な派手な美しさに目を奪われがちです。

 ところが今回、お雛様の房の乱れが気になって思ったのです。

 細部など見逃しがちな素人にあっても、おろそかな部分は、(作り手の側にとって恐ろしいことに)意外と素人の目にも明らかとなるものなのかもしれないと。

  そして、そんな風に考えたとき、思い出したのがローエの言葉だったのです。

 

 スポーツの世界では、

 「(練習を)一日休むと自分に分かり、二日休むと相手に分かり、三日休むと皆に分かる」という言葉があるそうです。毎日必死に練習しても上達は中々しないのに、駄目になるのはあっという間ということなのでしょう。

 

 小さな事を丁寧に積み上げてこそ、その上に偉大な成果が築かれるというのは、全ての分野において共通のことなのかもしれません。そんな風にローエの言葉を解釈すると、正に建築家にぴったりの名言という感じがします。

 土台をゆるがせにしては建築家の仕事は成り立たないということで、どうだい?では。