おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

完成!二つ目の『いいねっ!ミトン』

ドイツ人のニット作家、ベルンド・ケストラー氏考案の『いいねっ!ミトン』。

 https://chokoreitodaisuki.hatenablog.com/entry/2019/12/18/201947

 ↑ こちらの記事で出来上がりを紹介しましたが、あんまり編み方が簡単で面白かったので、編み方を変えてもう一つ作りました。

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 私の編み物は、手元にある古い糸をなんとかしたいというのが目的なので、毛糸を買うことは滅多にないのです。が、先日立ち寄った手芸店で、ちょっと高級な毛糸が半額になっていたので、珍しく一玉(40g)購入。写真の下の方に川の流れの様に漂っているのが、最後の糸始末をして切り落とした残り糸です。

 きもちイイ~!

 これほど見事に毛糸を使い切るなんて、なかなか無い事なんですよ。ミトンが完成したことは勿論嬉しいのですが、今回はこの「使い切った感」がなんとも言えない充実感です。

 さて、ここで間違い探しクイズです。上のミトンは左右全く同じものを2枚編むのですが、大きな間違いを犯してしまい、左右で明らかに異なっている部分があります。どこでしょうか。

 答えは、親指部分の編み方です。写真左の方を先に編みまして、右に取り掛かったとき、気がつきました。「完成したやつ、親指の編み方が本の指定と違う。間違った~」

 そうなんです。このミトンは親指から編んでいくミトン、つまり初っぱなから間違えて編み始め、親指部分を完全に間違えたまま最後まで編んでしまったのです。ここで選択肢は三つ。

 ①ほどいて最初から編み直す

 ②もう片方も本とは違う(間違った)編み方で編む

 ③片方は本の通りに編んで、左右でちょっと違うもので妥協する

で、③を選んだわけです。

 

 「あー、年取ったなー」

 間違いに気づいて真っ先に思ったのはこれです。最近、うっかりミスというか、勘違いや思い違いがすごく増えたような気がするんです。それとも、若い頃はこうじゃなかったと思うのは、過去を美化しているからなんでしょうか。

 ただ、一つ確実に言えるのは、老眼になって細かい文字が見えにくくなったために、説明書きの類をちゃんと読まなくなってしまったという事です。そのせいでミスが増えたということは、多分にあるかもしれません。

 残念ながら、今回のミトンは「いいねっ!」とまではいかないようです。

 ちなみに、今回のミトンは「おもて編み」と「うら編み」だけで出来ているのですが、間違いの原因は、うら編みと思っていたところがおもって編みだったのです。自分の早とちりを恨あみます。では。

 

2019年買って良かったベスト3

今週のお題「2019年買ってよかったもの」

 今週のお題に乗っかって、私のベスト3を紹介したいと思います。

 

 第3位  スチームクリーム

わちふぃーるど ダヤン スチームクリーム 星座

 

 顔・体・手・髪、どこにでも使えるというふれ込みの保湿クリームです。このクリームはとにかく缶のデザインが可愛くて、他にも可愛い缶や洒落た缶がたくさんあったのですが、迷った末にこちらに決定。いや~可愛い。お風呂上がりに手にする度に「可愛いなあ」と癒やされます。効果の程はちょっとよく分からないのですが。

 もともとあまり肌トラブルはない方で、一年中、馬油のみ。クリームは、頂いたものなどを適当に使ったり使わなかったり、たまに特売品を買ってみたりで、特にこだわりは無いのです。でも、缶の可愛さにつられて買った結果、使う度に嬉しい気持ちになるというのは思わぬ収穫でした。「物」には実用だけではなく、そういう面もあると改めて気づかされた58才なのです。

 ちなみに、ハンドクリームだけにはこだわりがあります。手が凄く荒れやすいので。ろくに家事もしないのに、不思議です。

 

 

 第2位 愛心棒(足ツボを押すためのものです)

若石健康法 愛心棒(木製)New

 画像はアマゾンからで、木製の高級品ですが、私が買ったのは真っ赤なプラスチック製のもので、お値段は3分の1です。

 足ツボだけではなく、肩でも腕でも、どこにでも使えると説明されましたが、本当にその通り。特に私は首の付け根に、押すとすんごく痛いところがあるのですが、そこに見事にフィットするのです。

 そして、何よりも素晴らしいのは軽くてコンパクトだという点です。旅行の際に持って行くことができるのです。以前に拙ブログで紹介したことがある愛用の立派なツボ押し棒は、残念ながら持っては行けないのです。

  旅先では、お上りさんよろしくポカンと上を眺めることが多いせいか、肩が凝るのです。夜、ホテルのベッドに腰掛けて、「ああ、肩が凝ったなあ」と、腕を回したり指で凝りを押してみたりはするものの、どうにもスッキリしないやるせなさ。

 先日の山形旅行に持って行きましたよ、「愛心棒」。

 いいです。かなりスッキリしました。もちろん、素人ながら足ツボも押してみたり。考え抜かれた形で、いろいろな使い方が出来るようになっているのも、素晴らしい。

 出かけるときは、忘れずに。家では勿論のこと、「モバイルツボ押し」として大いに活用したいと思います。

 

 

 第1位 麗子こけし 

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 詳細は下記をお読み頂ければと思います。

chokoreitodaisuki.hatenablog.com

  とにかく、可愛い。

 リビングのソファの、私の定位置から常に目に入るところに飾ってあるのですが、見る度に「可愛いなあ」と思ってしまうのです。他人の目にどうかはわかりませんが、私の目には本当に可愛い。

 私には息子しかいないので、娘というものの可愛さは想像するしかないのですが、客観的には「?」がつくようなお顔のお嬢さんを、親御さんが「可愛い」というのは、こんな感じなのでしょうか。心の底から可愛いです。

 (うちの二人の息子は小さい頃本当に可愛かったので、「?」がつくようなお顔のお子さんをお持ちの親御さんの心情は、良く分からないのです。ゴメンナサイね。オホホ。)

 

 以上。今年買った私のベスト3でした。

 それにしても、以前からツボ押し棒は持っているし、おまけに「コリコラン」もゲット。さらに買って良かった第2位が「愛心棒」。どんだけ肩凝り解消グッズ、集めてんの?とお思いでしょうね。ほら、私って、凝り性だからさ・・・。では。

キツツキが来たりて

 今更ですが、私は青森県弘前市という地方都市に住んでいます。割と街中です。徒歩圏内にデパートもあります。

 にもかかわらず、家の裏にはよその畑があり、立派な「実の成る木」が何本も立っています。そのためでしょうか。今年は何度かキジを目撃しました。かなり驚きました。でも、嬉しい驚きでした。思いがけない野生の生き物を目にするのは、心がワクワクする体験です。

 

 息子その1が小学生だった頃、次の様な無邪気な発言がありました。

 「この前、ベランダをキツツキがつついていたよ」

 私は苦笑いしながら言いました。

 「キツツキっていうのは山の中にいるんだよ。こんな街中にはいないんだよ」

 察しのいい読者の皆さんは結論がお分かりでしょう。それからしばらくして、私は息子その1に謝まることになりました。

 「だから、僕、言ったじゃん」

 ちょっとへそを曲げては居ましたが、息子その1は許してくれました。

 私とキツツキとの出会いは、その時たった一度のものでしたが、驚愕の一語に尽きました。

 それは日曜日の朝の事でした。家族はまだ眠っていて、私一人がリビングに居ました。お隣さんが日曜大工でもしているのでしょうか、トントントントン・・・と釘を打つ音が軽やかに聞こえてきます。初めは「お隣さん、随分頑張るなあ。休み無しだ」そう思っていたのですが、「おかしい!」、そう気づきました。釘ならば1本の分の長さを打ち終われば間があく。なのに、このトントンはずっと続いている。ハッと思い当たってベランダに出て音のする方をのぞくと、目が合いました、キツツキと。そして、すぐ次の瞬間、キツツキは飛び去って行きました。

 息子その1に詫びた後、「キツツキいるよね」と興奮して語り合い、再びのキツツキとの出会いを期待したものの、月日はむなしく流れ、あれ以来その姿を見ることはありませんでした。

 そして、今年。

 仕事をやめて日中家に居ることが多くなった私は、裏の畑にやってくる小鳥を眺めるという、ささやかな楽しみを得ました。あるとき、「あの鳥は変だ、他の鳥とは何かが違う」、そう感じる一羽を発見しました。ああ、目が悪いのが残念。でも、何が変なのかは分かりました。普通、小鳥というものは「枝」にとまるのに、あの鳥は「幹」にとまっている。

 キツツキ?ひょっとしてキツツキ?一生懸命目をこらすと、頭が赤いのが分かりました。キツツキだ。およそ15年ぶり2回目という、まるで甲子園に出場するかのようなキツツキの登場でした。

 

 日中、私がリビングでくつろいでいると、ベランダ(我が家のベランダは木製なのです)から聞こえて来るトントントントン・・・。しょっちゅうではないのです。半年の間に3、4回という程度です。なんとか写真に撮りたいと思うのですが、窓を開けた瞬間、飛び去ってしまいます。危害を加えるつもりなど毛頭無いのに。どちらかと言えば、ベランダに穴を開けられているこちらの方が危害を加えられているというのに。

 皆さんも、妙に長いトントントンが聞こえたら要注意ですよ。知らない間に大穴を開けられたりしたら大変ですからね。

 

 ということで、写真という証拠はないけれど、我が家にキツツキがやって来るという報告です。ホントです。嘘つきじゃ無くてキツツキの話です。では。

「コリコラン」、使ってみた(続き)

 「コリコラン」は確かに私の肩のコリを解消してくれました。ただ、最近の私の肩凝りは、ちょっと凝ったという程度になっているので、頑固なコリにどの程度の威力を発揮するかは未知数です。

 

 ところで。

 肩凝りでお悩みの皆さん、皆さんの肩や肩甲骨回りにはグリグリとか、ボコッとしているとか、何だか気になるという部分はありませんか。私はあります。左側の首の付け根から肩の真ん中あたりまでが、異様にボコッとしています。触ってみるとカチンカチン。でも、別に苦しいというわけでもないし、勿論痛くもないです。いつからそこにあるのかも不明です。

 「こういう体型なのだろう」とぼんやり受け止めていた時期もあったのですが、思い返してみると、右側もかつてはボコッとしていたのに、いつの間にか低くなったような。これはひょっとして「治る」ものなのではないか。しばらく前からそう思い始めていました。そして、そんなところに「コリコラン」。

 コリコランの効き目を実感した私は、この首の付け根の「ボコッ」を治すべく、まずその正体を突き止めることにしました。もちろん、ネットで。結果はすぐにヒットしました。どうやら、肩周辺のグリグリや塊のようなものは、筋肉や筋膜が固くなってしまったり癒着したりしていることによって発生しているらしいのです。そして、その原因は老廃物によって血液の流れが悪くなるためらしいです。

 コリコランが凝りを改善するしくみは、「電磁エネルギーによって血管拡張作用や血行促進作用を与える」とあります。ということは私の首の付け根の「ボコッ」が、血液の流れが悪いことが原因で出来ているならば、コリコランによって改善される可能性があるということかもしれません。今までは、「肩が凝ったと感じたら使おう」と思っていたコリコランですが、しばらくの間、継続的に使ってみようと思います。

 嬉しい結果を拙ブログでご報告できたらいいなと思います。

 

 

 コリコランを着けて肩凝り知らずで編んだのは、こちらの本から

ベルンド・ケストラーのミトン 親指から一気に編める

 

 この指先が使えるミトンです。 

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 親指から編んでいくという、あまりにも画期的な編み方に興奮して挑戦。あっという間に出来ました(二日で完成)。面白い形ですよね。でも着用すると不思議なフィット感。考案したケストラー氏(ドイツ人男性)は、このミトンを『いいねっ!ミトン』と名付けたそうです。

 

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 この記事的には「指圧ミトン」という名前でおしたいのですが・・・。では。

「コリコラン」、使ってみた

 10月のハテナブログ特別お題、賞品はパナソニックの高周波治療器『コリコラン』でしたが、わたくし、見事ゲットいたしました。

 ↓ こちらのエントリで選ばれました。

chokoreitodaisuki.hatenablog.com

 「コリコラン」 ↓  なんか、カッコイイ。

パナソニック 高周波治療器 コリコラン 充電器 + 本体4個 EW-RA510-K

 この様な素晴らしい肩凝り治療器を頂いておきながら、こんな事を書くのは大変心苦しいのですが、実は私は最近、肩の凝らない秘訣のような物が分かったのです。

 それは簡単に言いますと、「常に肩を下げる事」を意識するということです。きっかけは、ヨガ教室で聞いた講師の方の次の様な言葉です。

 「腹筋が無い人はそれをカバーするために、いつでも肩が上がってしまうそうです。で、その肩が上がった姿勢というのが、すごく肩が凝るの。だから、肩凝りに悩んでいる人は、常に肩を下げること。肩を下げることを意識して生活してみて下さい」

 この言葉は、ストンと私の胸に落ちました。人の言葉というのは本当に不思議なもので、私にとってこの言葉のポイントは「腹筋の無い人」という所だった様な気がします。ただ単に「肩が上がるのは良くない」と聞いただけでは、コレほど響かなかったと思います。腹筋の無い事に関しては人後に落ちないと自負している私です。自分の肩凝りの原因が突き詰めれば腹筋の無さに起因するという事に、深いところで納得したような気がします。

 さて、それ以来です。パソコンに向かうとき、本を読むとき、編み物をするとき、スマホを見るとき。常に意識しているのです、「肩を下げる事」を。効いているような気がします。以前より肩が凝ったと意識する回数が減ったような気がしています。

 でも、完全に肩凝りから解放されたワケではありません。「肩を上げる」以外にも肩凝りの原因はあるでしょうし、また、長年のクセで無識に肩が上がってしまっていることもあります。よし、次に肩が凝ったら「コリコラン」を使ってみよう。そう決心した私は肩が凝る日を今か今かと待ち構えていたのでした。

 そして、昨日。

 お友達とランチに行きました。案内されたのはカウンター席でした。そのお店のカウンターは通常よりやや高く作られていました。椅子の高さは普通。そうなりますと、姿勢としては、自然肩が上がることになります。凝りました。見事に。

 家に帰って、「ああ肩が凝った」とは思いましたが、程度としては「少し」です。どうしよう、コリコラン使おうか、使うほどでも無いか。この後は、編み物をしようと思っていました。

 「よし、使おう。このままの状態で編み物をしたら、肩がカチコチになってしまうかもしれない。これ以上凝らなければ儲けもの」そう思いました。

 2時間ほども編んだでしょうか(編み物は一度ハマってしまうと、なかなか止められないものなのです)。

 

 あれれ~、治ってる~。編み物を始める前に感じていた肩の不快感(凝り)が無い。

 これは!

 コリコラン、いいかも!?それとも、なにかの偶然?

 とりあえず、コリコランを肩に貼ったまま外出することにしました(コリコランは小さいので、貼っていても他人からは気づかれないのです)。行く先は古本屋です。探しているテーマの本があるのです。ゆっくりジックリ探しました。関係ない本にも手を伸ばしたりして、1時間ほど、棚から棚へと移動。斜め上を見上げる姿勢の時間も相当あったと思います。結局何も買わず、「ああ肩が凝ったなあ」と思いながらお店を後にしました。20分ほど歩いて家に着きました。なんやかんやの後、ソファに腰を下ろして気づきました。

 

 「あれれ~、治ってる~」 by 凝りコナン(肩が凝っているコナン)続く。

 

悪い意味で現代人の私

 5本指ソックスって、履いたことあります?

 「一度履いたらやめられない」とか、「体の調子がいいような気がする」とか、周りから聞こえて来る賞賛の声。私も数年前に、履いてみたんですよ。何かの景品でもらったので。

 ダメでした。なんだか、合わないんです。履いているとイライラすると言うか、なんとも言えない不快感があるんですね。みんなよく我慢できるなー、私は無理だ、そう思いました。その5本指ソックスはタンスの奥深くでしばらく眠った後、結局廃棄となりました。

 

 半年ほど前に、「足ツボマッサージ」を受けました。そこで、足指を動かすことの大切さをこんこんと説かれ、出来れば5本指ソックスを履くことを勧められました。私は前述の経験を説明し、5本指ソックスには抵抗があることを話しました。

 

 「たまにそういう人いるんだよね。それはフィットしてないソックスだからだと思う。5本の指に、付け根からちゃんとフィットするものを履いてみて」

 テレビの健康番組などでも、「足」がどれ程大切かは良く見聞きします。特に冷え性対策には足の血行をよくするのが肝心。よし、彼女の言葉を信じて、もう一度5本指ソックスに挑戦しよう。冷え性に効くなら、肩こりにもいいなら、そう思ってちょっとお高い買い物でしたが、「ちゃんとした」5本指ソックス購入。

 結果は。

 夏の間は良かったんですよ。以前のものとは違って不快感もないし、しっかり立てるような気がする。ところがですね、秋風が吹く頃から、自然に履かなくなってしまったんです。理由は「足が寒いから」。

 

 さて、ここから今日のタイトルの説明に入ります。

 私は「5本指ソックスを履くと足が寒いな」と感じつつ、「気のせいなのかな」とか「今日は特に足が冷える日なのかな」とか、5本指ソックス以外にその理由を求めていました。それは、「5本指ソックスは暖かい」という世間の声を固く信じていたからです。自分の身体の声よりも。

 友人で、5本指ソックスしか履かないという女性がいます。彼女も「5本指ソックスを履くと足が寒い気がする」という私の意見に首をかしげ、「普通は暖かいって言うんだけどね」と腑に落ちない様子でした。ただ、最近になって、彼女から「素材が綿だからではないか。確かに自分も最近は冷たく感じることがある」という賛同の声がありました。

 なぜ皆が褒め称えるソックスを、自分は寒く感じて履くことが出来ないのか。ここはやっぱりネット検索でしょう。調べました。そして納得の答えにたどり着いたのです。

 それはズバリ、「5本指ソックスは暖かくないので、冬山登山には履いてはいけない」というものでした。理由は簡単。普通のソックスでは指同士が互いに暖め合っているのに、5本指ソックスは指と指の間を隔てる繊維が邪魔をして熱の交流がないから、ということでした。

 なんか、すんごい目から鱗

 つまり、もともと「足が寒くない」人にとっては快適な5本指ソックスも、私のような、冷え性で足の指がいつも冷たいタイプにとっては適さなかったんですね。せっかく寄り添ってわずかな熱で暖め合っていた5本の指を引き離していたわけですから。

 あー、なんで自分の体の感覚を信じなかったんだろう。「寒く感じるって、何か間違った感覚なんだろうか」みたいに思ったりして。自分の五感よりも、他からもたらされる「情報」の方を信じるなんて!本当に愚かな、現代人の私です。

 

 冷え性の私にとって、冬の5本指ソックスは寒いということがわかったので、件のソックスは暑くなるまでお蔵入りです。変わりに、厚いソックスを履いて冬を乗り切ろうと思います。

 本日は私のうっくつした靴下に関する熱い語りにお付き合いいただき、有り難うございました。では。

 

寺山修司ポスター展②

 「ああ、今ならアウトだなあ」、そんな風にも思った寺山修司ポスター展です。

 ポスターとしてはどれも魅力的な素敵なポスターです。でも、今日の道徳と言いますか、社会規範的にはちょっと厳しいのでは無いかと思うものが多数ありました。

 

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 特に上の一枚などは「少女を性の対象にしている」と言う点でアウトでしょうね。また、実際の作品を見ていないので本当は何だかんだ言えないのですが、寺山作品には障害者が登場する場面が結構あるようで、その描き方によってはクレームがあるかもしれません。そもそも寺山主催の劇団『天井桟敷』の旗揚げ公演作『青森県のせむし男』は、そのタイトルからして現在では差別用語とされています。

 

 こうやって考えてみますと、わずか40年の間にも、人間は科学技術のみならず倫理観や人権意識といった社会的価値観も、進歩・変化させているのだと驚きを禁じ得ません。

 それまでの自分がなんとも思わずに受け入れてきた「世の中の当たり前」が、全然当たり前ではないというのは、面白くも衝撃的なことです。頭が固くなりがちな年頃の私ですが、古い価値観に縛られること無く、新しい「世の中の考え方」について行きたいと思います。

 ここで私の言う「ついて行く」とは、必ずしも受け入れると言うことでは無く、聞く耳を持ち、理解した上でイエスかノーかを判断すると言うことです。

 ちなみに、上のポスターについて有りか無しかと問われれば、私も「無し」の側です。

 と書いてて、自己矛盾に気づきました。ちょっと前の行で「理解した上で判断」なんて書きましたが、理解したら賛成するしか無いですよね。声をあげるのは常に被害者や弱者の側で、理解してるのに賛成しないと言うことは、被害者の「痛みに寄り添わない」と言うことになってしまうので。

 

 下に貼った過去記事でも書きましたが、芸術と猥褻や性的搾取や、それから差別と言ったこととの境界は本当に難しい。そういったことを考えさせられたポスター展でありました。

 

 最後に蛇足のダジャレを。

 ポスター展①の記事中で「寺山の言語感覚って、センスある」と書きましたが、それはつまり、「言葉を巧みに用いて美しく効果的に表現する」技術があるということで、そのような技術を「修辞」といいます。さすが、寺山しゅうじ!では。

 

chokoreitodaisuki.hatenablog.com