おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

博物館明治村

 犬山市には『博物館明治村』という野外博物館があります。犬山城とその周辺を見学後、遅めのお昼ごはんを明治村で食べようという計画で、バスで向かったのでしたが、完全に失敗!明治村は朝から晩まで、それこそ1日かけても回りきれないような、それはそれは素晴らしい博物館・テーマパークなのでした。

 上のような見事な建物が100万m2もの広大な敷地に60棟以上も建っています(その内、11件は国指定重要文化財)。見応えあります。

 ちなみに、写真右の緑の外壁の建物は『宇治山田郵便局舎』と言いまして、元々は三重県伊勢市伊勢神宮外宮前にあったのだそうです。

 当時、伊勢神宮に参拝した人々は神宮は勿論のこと、こちらの郵便局にも目を奪われたでしょうね。現代の私達が見ても、「凄〜い」と声が出てしまうような手の込みよう、豪華さなのですから。

 そうなんですよね、私が明治や大正のレトロな建築に惹かれるのは、まさにその豪華さにあるような気がします。豪華というのは、金額的な面も勿論ありますが、手仕事的なこだわりと言いますか、手間暇、時間を惜しまない妥協無き追求の姿勢とでも言いますか、そういうところです。あれ、でも結局はお金の問題なのかな?資金無しには成し得ないですものね。

 いずれにしろ、明治・大正の建物は、その時代だったからこそ可能だった手のかけ方、こだわりがあるわけです。今日では人件費・資材等の問題でほとんど不可能な建築になっていると思うのです。

 一例として、明治村の数ある建物の中から、「西園寺公望(さいおんじきんもち)別邸『坐漁荘(ざぎょそう)』」をご紹介したいと思います。

 『坐漁荘』では学芸スタッフによる案内により、制限箇所の見学が可能になっています。ご訪問の際には、是非、こちらのガイドを利用なさって下さい。スタッフのお言葉、

 「この建物の凄さは、ただご覧になってはお分かりにならないと思います。どこが凄いか、是非説明をお聞きください」

 この言葉は本当にその通り!説明されなければ分からない凄さってありますからね。そして、そういう凄いものを見れたという喜びは、漫然と見学する何倍も何倍もありますから。

 坐漁荘はお庭も美しい日本家屋です。でも、明治の元老の別邸ということで、厳重な警備体制がしかれていたそうです。

 玄関の沓脱ぎ石ですが、那智の黒石という高級な石で出来ています。どのくらい高級かと言いますと、那智黒は碁石の黒石や硯に使われる石なのです。それを惜しげもなくこの量。「あがってもいいんですか?」思わず聞いてしまいました。

 西園寺公望は趣味人と言いますか、美意識が高いと言いますか、別邸の随所に公望のこだわりがあるのですが、特に欄間と襖には凝ったようです。

 上の写真の欄間ですが、説明されないと絶対に見逃してしまうと思うんです。

 縦の線は竹なんですけど、何と言いますか、竹をくりぬいて、竹の輪郭(?)だけ残してる状態なんです。公望は竹が好きで、他にも、

 浴室の天井を竹で舟底型にしていたり、(こんなふうに隙間なく竹を並べるのは難しいそう)

 こんな欄間も作らせています。写真を拡大して見て頂きたいのですが、やっぱり輪郭状態にした竹を、今度は横にして、その上下をピッタリと板ではさんでいます。ガイドさんは、

 「これは難しいですよ〜」とおっしゃってましたが、「そうですよね」としか反応の仕様もないです。

 そして白い襖も写っていますが、この襖紙は和紙に胡粉を塗って、それを職人が手揉みして皺を作り出すという技法なのだそうです。

 杉の皮を漉き込んだ襖紙。製法は不明で再現できないということでした。

 縁側の上部のガラスが乳白色なのは、障子の白を意識してのものだそうです。このようにあくまでも和のテイストを大事にした坐漁荘ではありますが、外国暮らしの経験のある公望は洋風の家具調度も好み、

洋室には暖炉がありました。そして、このマントルピースの大理石が凄い!イタリアから運んで来たそうですが、これは説明を聞かなくても「メチャクチャいいやつ!」って分かります。ガイドさんは「今なら1千万」っておっしゃった気もするのですが、聞き違えかも。でも、本当に見事な大理石です。

 どうでしょう、皆さん。坐漁荘をざっと見学するだけでも30分はかかります。そして建築以外にも見どころは盛り沢山。私が初めに書いた、「朝から行っても間に合わない」の意味がお分かり頂けましたでしょうか。

 百聞は一にしかず(犬山だけにね)、『博物館明治村』に行かれる際には、是非時間をたっぷりとって行ってみて下さい。私も2回目は朝から行きますよ。

 

 話は変わって。

 一週間ほど前になるでしょうか。スマホでニュースを見ていたところ、「明治村」という見出しに気づいたのです。なんでも、

 この度、明治生まれの最後の男性(日本最高齢男性ということですね)が亡くなった。これにより、『博物館明治村』の「明治生まれの方入村無料」サービスを受けられる男性は居なくなった。

 ということでした。なんか、色々と突っ込みどころの多い記事ですが、おもしろい切り口ではありますね。

 降る雪や明治は遠くなりにけり

 中村草田男の有名な句ですが、明治生まれの方も少なくなってしまって、本当に「昔」になったなあと思います。その昔の姿に直に触れられると言う点、『博物館明治村』の存在は貴重で、そして面白い。末永く維持管理され存続するよう、皆さん、是非行きましょう、明治村。では。

犬山の「わんわん」

 犬山市の『城とまちミュージアム』に飾られていたこちら ↓

 短歌を書き出しますね。

 四方から集まる人の高声もわんわんといふ犬山の市

 「わんわん」とは声や音が響く様子を表すオノマトペですが、言わずもがな、犬の鳴き声とかけているわけで、上手いもんですなー。これを見ただけで、「犬山に来たかいがあった」と思いましたよ。私のナンバーワン!犬山のイチです。

 

 えー、さて。

 街を歩いていて発見したこちらの建物。

 通りがかった方に訪ねましたら、「小学校ですよ」というお返事。調べましたら、犬山北小学校でした。何が凄いって、ぐるりと巡らされた瓦の載った塀!

 この塀、囲いー(カッコいい)!

 古典中の古典とも言うべきダジャレですね。続く。

凄いぞ、見たいぞ、犬山祭

 犬山は犬山城見学後もお楽しみは盛り沢山でした。

 城下町の姿が往時のままに遺され、かつ現代風のショップやカフェとしても活用され、ぶらぶら歩きもとても楽しい。そして、『城とまちミュージアム』『からくりミュージアム』『どんでん館』など、規模としては小さいものの、犬山の文化・歴史を紹介する資料館も充実しています。 

 『からくりミュージアム』では、からくり人形の展示・実演が見られるのですが、なぜ犬山にからくり文化があるのか?

 それはですね、こちらの犬山祭の車山(やま)に関係するのです。犬山市の13の町から針綱神社に奉納される車山。車山は針綱神社に到着すると、自慢のからくり人形の舞を披露するのです。

 

 上の写真の人形はミュージアムで実演を見たのですが、紐で操られて、まるで生きているかのように歩きます。そして、思わず「ワッ!」と声が出たのですが、顔が瞬時に変わるのよ~!胸元が不自然な感じがすると思うのですが、蓋のような仕掛けになっていて、パカッと開くと、たちまちお面が飛び出て顔を覆うという仕組みになっています。

 こちらのポスターでお分かり頂けますでしょうか。↓

 

 

 下の写真は『どんでん館』にて。夜には山車に提灯が灯され、昼間とはまた違った風情があるようです。ちなみに、『どんでん館』という名称は車山が180°方向転換する様を「どんでん」というところか来ているそうで、その転換の様子も見ものらしいですよ。

 からくり人形、提灯、どんでん。見どころあふれる犬山祭ですが、更に驚きの見ものがあるのです。↓

 これは『金襦袢(きんじゅばん)』と言います。車山の一層目では子供達が太鼓を叩いているのですが、その子供達の衣装です。なんでも、

 ・子供(男の子でも女の子でも)が3歳になった時、この金襦袢を誂える

 ・誂えて贈るのは嫁の実家の役目

 ・一着、300万円程度

 ・上の事から、このあたりでは「車山のある町内には嫁にやるな」と言われる

 嫁にやったご実家は大変でしょうが、見物人としては見たい、見たい。上の説明書にある、「夜の電飾」も見てみたいです。

 ところで、犬山祭の場面場面で、金襦袢を着たお子さんをお父さんが肩車している様子が見られるのですが、ここでクイズです。肩車するお父さんの両腕は、子供のどこを支えるでしょうか?

 


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 お父さん達は子供が両腕を広げられるよう、その腕をささえているのです。お父さんも大変だ〜。

 犬山では、親はスネをかじられる前に腕をしゃぶられるって感じですね。勿論、そういうお父さん達のお顔は、しゃぶられる側なのに、晴がましくも嬉しい、「美味しい」って表情だろうと思いますよ。続く。

犬山城で話しかけた

 犬山城の最上階である4階は高欄の間と呼ばれ、廻縁(まわりえん、今で言うベランダかな)への出入り口があります。その廻縁からの眺めを楽しもうと、人々は長蛇の列を作るらしいです。らしい、と言うのは、私達が行った時はそれ程の混みようでも無かったので。ラッキーでした。

 

 写真の廻縁を目指し、まず2階まで急階段を上ります。そこまではまあまあの混雑で、「ゆっくり上がる」という感じです。ところが、2階からは階段が狭くなる関係からか途端に渋滞。人混みで夫と離れ離れになりました。まあ、いずれどこかで落ち合えるだろうと呑気に構えることに。

 階段の順番待ちの足踏み状態で外を眺めていると、面白いものを発見しました。

 

 瓦屋根の上の、ひょっとして桃?通行整理の係りの方に質問したところ、

 「そうです、桃です。桃は魔除けの力があると信じられていました。全部で8個あるんですよ。探してみて下さい」

 という丁寧なお答えでした。こういう時、物怖じせず質問が出来る自分の性格を肯定的に思えるんです。後で夫からは、

 「また何か話しかけてるなーと思って見てたよ」

 と、なんだか否定的なトーンで言われましたが。

 3階から4階へは上りと下りの交互通行で、廻縁に出られるまでかなりの時間がかかりました。結果的に夫とは離れ離れのまま、一人で素晴らしい眺望を堪能しました。

 さて、4階で下りる順番を待っている時、歴代城主の肖像が目に入りました。右端が初代。左方向に時代が下っていきます。

 

 だんだん現代に近づいて、あれっ、12代(最後の城主ということですね)城主の成瀬正俊氏、お酒のグラス持ってる!アップにしますね。

 えー、変な人ー、あ、ゴメンナサイ。個性的な方ですね〜。面白〜い。またまた、係の方に話しかけてしまいました。さすがに言葉は選びましたが。

 「最後の城主の方、随分イケメンですね」

 そして、大変面白い答えが返って来たのでした。

 「はい。この方はテレビのCMにも出られたことがあるんですよ。この写真はその時に篠山紀信さんに撮ってもらったものだそうです」

 「!」

 そうなんですか!

 篠山紀信撮影ですか!

 そりゃあ使いますとも。いつだって、どんなときだって「お写真お願いします」と言われたら、私だってその写真を出しますよ。遺影にだって使います。実際、2008年に犬山市で行われた成瀬正俊氏の市葬に使わています。正確には、市葬で使用され、その後犬山城天守に飾られてるのだそうです。

 こんな面白い情報に出会えるなんて、「物怖じせず話し掛けられる性分で良かった」

 またしてもそう思うのです。そして、夫と離れ離れになったのも、功を奏したと思うのです。隣に夫がいたならば、

 「最後の殿様、面白いね。普通、こんな写真を飾ろうと思うかな」

 などと言い交わして、係の方に話し掛けたりしなかったと思います。怪我の功名?良かった良かった。

 昔の『タンスにゴン』のCMを思い出しましたよ。

てんしゅ元気で留守がいい」ってね。続く。

国宝・犬山城

 犬山市には『犬山城』がある!

 子供の頃から知っていました。国宝である、ということも知っていました。そして、「国宝である」と知っていると言うことはすなわち、「にもかかわらず、個人の所有である」ということも知っていたと言うことです。夫も、

 「犬山城は個人の持ち物で国宝なんだよな」

と言っていました。私の中では世界の常識と言うことになっていたのですが、違うんですね。友人・知人、皆、知らなかったのです。逆にビックリ。

 

 1537年、犬山城織田信長の叔父によって築かれ、江戸時代初期にかけては城主は目まぐるしく入れ替わる。

 1617年、尾張藩付家老・成瀬正成、将軍徳川秀忠より犬山城を拝領。以降、幕末まで成瀬家が城主を務める。

 明治維新により、廃城。天守を除く大部分は取り壊され、公園となる。

 1891年(明治24年)、濃尾地震により天守は破損。愛知県から修復を条件に旧城主・成瀬家に譲渡され、市民からの義援金により修復なる。

 1935年(昭和10年)、国宝に指定される。昭和27年、規則改正に伴い再指定。

 2004年(平成16年)、公益財団法人犬山城白帝文庫が設立され、犬山城を所有することとなった。

 なお、犬山城は現存12天守の中では最も古いと言われている。

 

 そうだったのか〜、現在では個人の所有ではないのね。そして、平成生まれは「個人所有のお城だった」という事を知らない可能性の方が大きく、犬山城=個人所有という知識は、昭和の一部の人間にしか通じない思い出話なのね〜。認識を新たにしましたよ。

 

 そしてもう一点。認識を新たにと言いますか、「そういうことか!」と、大いに合点がいったことがあるのです。

 私の住む弘前市には重要文化財弘前城があるのです。現存12天守の一つです。桜で有名な弘前城は敷地が広く、膨大な本数の樹木が生い茂っています。人の想像力というものは慣れ親しんだ情報をもとに広がるものだと思うのです。弘前市民が「お城」と聞いて思い浮かべるのは、お堀に囲まれた広大な敷地の中央に建つ天守。これでしょう。そのイメージで、個人がお城を所有すると聞いて思うのは、

 「どうやって?どうやって維持するの?」

 

 かなり失礼な表現とは思いますが、上の写真の門をくぐって、見えている限りが犬山城天守なんです。いや、勿論、立派です。天守という点では弘前城のそれよりずっと立派です。(弘前城は雷で焼け落ちた天守の再建が許されず、櫓(やぐら)という名目で作った天守なのです)

 「そうか、この規模だったのか!」

 勿論、勿論、「お城」の維持管理が経済的にもその他的にもいかに大変なものであるか、誰だって分かります。分かりますが、私の長い間の疑問、

 「お城を個人が? どうやって?」

は、なんだか解決した気がしたのです。全くのしろーと考えであるとは分かってはいるので、お許しを。

 天守からの眺めです。昨日紹介した犬山橋が見えますね。犬山橋には大変面白い発見がありましたが、犬山城でも、とっても面白い発見があったんですよ。でも長くなりましたので、続きは明日にしろということで、お楽しみにね。では。

犬山橋(ツインブリッジ)

 木曽川にかかる犬山橋を渡りました。

 「長い橋だなー。眺めがいいなぁ。並行して鉄道橋も架かってるんだね」

 

 写真の左側が鉄道橋、右に見えるのが歩行者・自動車用の橋の歩道部分です。どちらも「犬山橋」なのですが、歩行者・自動車用橋の方には「ツインブリッジ」という愛称があるそうです。最初は特に気になることもなく、木曽川犬山城を眺めながらダラダラと渡った橋でした。

 ところが朝の散歩に出て、ブログのネタになるものはないか適当に写真を撮ったところ、大発見があったのです!始めは、はしにも棒にもかからないものと見過ごしていたのです。が、旅行から帰って何となく検索したところ、大変面白い出合いだったということが判明したのです。きっかけの写真がこちら↓

アップにしますね。

 なんか、カッコ良くないですか。これは親柱(おやばしら)と言って、橋の四隅に建てられるシンボル的な?、川の名前、橋の名前を書いたりする柱です。この柱を画像検索したことから始まり、以下のような恐ろ面白い事実を知ったのです。

 ツインブリッジが架けられたのは西暦2000年、今からたったの24年前!それまでは鉄道橋の方の犬山橋しかありませんでした。

 1926年(昭和元年)、それまで渡し船しかなかったこの地に犬山橋が架かったのです。鉄道道路併用橋として。そうです、電車も自動車も、この橋を通っていたのです。

 

 現在の線路は、上り線と下り線の間に十分な間隔がとられています。が、これはツインブリッジ完成後に修繕されたからで、もともとは路面電車がやっとすれ違えるほどの間隔しかなく、その分、線路の外側は今より広くなっており、そこを自動車やバイクが通行していたのです。接触事故も多発したそうです。そりゃそうでしょう。

 「人は?人はどこを通っていたの?」

 気になってyou tubeを調べたところ、当時は橋の外側に歩行者用通路があったようです。

 


www.youtube.com

 是非、you tubeで在りし日の「犬山橋」の様子をご覧になって下さい。驚愕ですから。そして、電車が鳴らす「ミュージックホーン」にも耳を傾けてみて下さい。何でも、

 「どけよ、どけよ、〇すぞ〜」

と聞こえるそうで、「どけよホーン』と呼ばれる、知る人ぞ知る鉄道マニア垂涎の「音」だそうです。私は特に鉄道に興味がある訳ではないのですが、面白いものはやっぱり面白い。

 こんなふうに思いがけない面白さに出会うこと、旅の醍醐味ここに極まれりって感じです。犬も歩けば棒に当たる、犬山市はこの諺の、いい方の意味がピッタリの、本当に面白さに満ち満ちたところです。ワンダフルって事です。まだまだ続きますよ〜、お楽しみに〜。続く。

木曽川を渡る

 『トヨタ産業技術記念館』見学後、宿泊予定地である犬山市に向かいました。電車で30分ほどです。

 宿泊を犬山市のホテルに決めたのは、『犬山城』と『明治村』見学のためです。私も同行の夫も、犬山市と聞けばこの二つぐらいしかイメージがなかったのですが、青森県民なら、この二つを知っているだけでも上出来というものです。私が

犬山市に行ってきた」

と言うと、ほとんどの友人・知人は

犬山市って、何があるんだっけ?」

と尋ねるのですから。日本は広いね〜。青森県民にとっては、東京以西は本当に遠い遠いところなのです。未知の世界。(ただし京都・大阪は除く。高校の修学旅行で行くので)

 ホテルには「犬山遊園駅」から徒歩で向かいました。橋を渡って。

 わー、大河だ、木曽川だって。わー、夕焼け!わー、犬山城が見える!

 犬山城と向こうの橋も絵になるな〜、ットリ。さすが、鵜飼で有名な木曽川

 今日は新幹線から大井川と天竜川も見れて、なんか嬉しい。高い山もいいですが、大河の堂々たる流れも心が満たされる思いがします。

 そして驚いたことには、「名古屋・犬山に行って来るんだ」と思っていたら、木曽川を渡ると、そこは、岐阜県各務原市。知らぬ間に岐阜県にも足を伸ばしていたのでした。

 「私達、歩いて愛知から岐阜に行ったんだよ」

 決して嘘ではないのです。キソ体力があるんでしょうね(笑)

 ホテルは、お部屋から犬山城が見えるというので決めたのですが、思った以上の眺望、そして超ラッキーがありました。

 白く浮かび上がる犬山城と川沿いのライトアップ。ずっと見ていられます。夕食時、ホテルの方に「ライトアップが素敵ですね」とお話したところ、

 「今日(3月1日)から始まったんですよ。40日間、実施するとかで」

ということでした。

 ね、超ラッキーでしょう。まさについてる、です。ライトアップ(点灯)だけにね。続く。